2007年10月29日

大江戸ロケットの時代!〜コミックス編!

★大江戸ロケットの時代!〜コミックス編!

と言う事で、アフタヌーンに連載されている「大江戸ロケット」(作画・浜名 海 、原作・ 中島 かずき)の第一巻が発売になりました。
(DVDも発売になっておりますが、仕事が忙しくて受け取りするのはもう少し先になりそう……)

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楽しみ方は二つ、浜名 海版の漫画版の「大江戸ロケット」を楽しむと言う方法とアニメ・舞台版の「大江戸ロケット」と比べて楽しむと言う方法でしょうか?
んで読んでみてどうかと言えば、どちらの方式でも充分に楽しめます。
メディアミックス……と言うのと、今回はちょいと違っているような気がしますが、同じ話を題材(基本)にしながら、別の物語が語られていくと言うのは、よくある事なのですが、今回の「大江戸ロケット」においては成功しているように思えます。
(それぞれのメディアで話の道筋が、結構違ってくる点を考えると過去のメディアミックス作品だと、山田正紀の「機神兵団」のイメージに少しにているかもしれない?)
んで漫画版における最大の難関は、、全体の尺の長さを如何様にして行くかと言う点でしょうか?
舞台劇版では、テンポの良さと流れるような視覚効果によって、比較短い時間内(それでも演劇とすれば結構尺が長い)に物語を収めながら快調に進めて行きました。
TVアニメは、脇を占めているキャラクター達を描く事によって、物語の展開をいろんな方角から見せながら、一つの目標(月ロケット打ち上げ)に向かう人たちの様々な姿を見せてくれました。
今回の漫画版は、どの部分を上手くというか楽しく見せてくれるでしょうか?
オリジナルな展開や設定も、漫画の中に既に登場しており、今後の展開が楽しみです。
(巻末の設定集を見ると、蒼の獣も設定とかが、かなり変化しそうな感じですし、オリキャラも登場するとか)
それを如何にして、どのように料理して、我々読者の目に出してくれるか、今後とも楽しみな事です。
ちなみに主役?の清吉は作者の趣味で美少年タイプに変更なされていますが、これもまた良し!
駿平は、相変わらずの美少女タイプな美少年です……いっその事、美少女にしてくれたら面白かったのではと思ったりして、そして鉄十が何となくイケメン風?になっているので、駿平と絡んでくれたら面白かったのではと……無理だろうな(笑
まあ黒衣衆に女性キャラが増えてますので、お色気成分は少しだけアップか?
あとソラの性格が、アニメ・舞台版とちょいと違っている感じで、ボケを残しつつもテンデレぽい?これも浜名 海版の面白さを増やしてくれる事になるかと思います。
ただ浜名 海版の「大江戸ロケット」の現在における最大の問題は……休載が少し、多くねぇ?(笑

と言う事で、今日はこれにて!




2007年10月02日

大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾六!

★大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾六!』

ついに最終回を迎えました「大江戸ロケット」……今期放映されたアニメの中で、唯一力をいれて見ていたアニメでした。
(『銀魂』も楽しく見てましたが、これは継続と言う事で)
と言う事で『大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾六!』ございます。

★ 火浣布(かかんふ)

清吉とソラが、宇宙服代わりに着た服は火浣布によって作られたと言っておりますが、この火浣布とは、中国は崑崙山に住んでいるといわれている火鼠の皮によって作られた布と言われており、竹取物語に置いては、求婚者の一人である右大臣阿倍御主人に対して、結婚の条件として求めた物としても有名です。
(他の求婚者には「仏の御石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「龍の首の珠」「燕の子安貝」を要求しています)
ただし実際には、鉱物である石綿の事であり、古代より様々な用途に使用されていた形跡が認められている物質で、またその耐久性、耐熱性、耐薬品性、電気絶縁性などの特性に非常に優れ安価であるため、日本では「奇跡の鉱物」などと珍重され、様々の用途(主に建設資材、電気製断熱性…等)に使われておりましたが、その有害性(アスベスト問題)が認識されるに至り、その使用は現在大幅に規制され、原則的には禁止されています。
(ただし適当な代替物質を確保できない物や、含有量が1%以下の物は禁止されておらず、完全には使用禁止とはなっていない面も見られる)
んで実際には、平賀源内が秩父山中で石綿を発見し、日本初の石綿と言うか布を製作していたりします。
(ただし完成させた布は、数センチ四方の小片が限度だったそうで、およそ実用的ではなかった……ちなみに源内が製作したとされる、この石綿は京都大学の図書館に保存されているそうです)

★ アポロ

人類が月へと、その最初の一歩を記したのは、1969年7月21日(月面に着陸したのは前日でしたが)の2時56分(UTCに置いて)の事で、アポロ11号に登場したニール・アームストロングによってでした。
(アポロ11号の着陸船にはエドウィン・"バズ"・オルドリンも同乗しており、この時に二名の人類が月に足跡を残しました。ついでながら司令船に居残ったマイケル・コリンズは、結果として地球から一番離れた場所まで行った人類と言う事になりました)
アニメの方では、下駄の跡が合ったり、花火が打ち上げられておりましたが、現実にはそんな事はなかったようです……公式にはね(笑
ちなみに月面に置いては、大気が存在しないという事によって、アームストロングが月面に残した足跡は、いまだにそのままの形で保存されている筈です。
(ちなみに、この足跡のレプリカがアメリカのTransquillity Park(静かの海公園)と言う場所にあるそうです)

人類が月に行くという事は、ある意味で言えば、すでに想定されていた出来事だったかも知れません、月を見上げる人々の心の中に存在した。
『あの場所へ行きたい』
という気持ちが、途絶える事無くあり続けた結果……必然として行われた行動であり、結果だったのでしょう。
ただし、そこへ至る道は険しかった事も事実です。
それでも人類は月に到達しました。
だから、其の先へも行ける筈ですし、行かなければいけないでしょう……
それは人類に課せられた使命!……と言えば大袈裟でしょうが、行きたいから行く!
それだけでも良いのではないでしょうか?

ついでながら「アポロ計画陰謀論」と言うのがありますが……詳しく説明をするのも疲れますので、リンクを辿って見てください
ただし一言だけ……物事に疑問を持つのは間違いではないし、重要な事といえる……だが疑問に思った物事に対して盲執してはいけない、物事を考える時は、出来る限り精神の状態をニュートラルの状態にしておく事が大切だし、自分が考えた事や信じた事が間違っている場合がある事を自覚しておいた方が良い
(実際には、非常に難しい事なんだが……)

★水野忠邦

大江戸ロケットの舞台となった。天保14年の閏九月十三日に、老中の座を追われるが、翌年の弘化元年の6月21日に、外国問題の紛糾によって老中に再任される。
しかし結局は更に翌年の弘化2年の2月22日に、老中を辞職する事となり、その後は隠居謹慎処分を科せられた上で、懲罰的転封を命じられ、その地にて嘉永4年に死去した。
天保の改革の失敗は、昔日に戻れば幕府は安泰であると言う。実情から掛け離れた観念的な政策の末に、その政策が破綻をきたした結果と言えるだろう。
結果として徳川幕府は、天保の改革によって幕府存続の様々な可能性(蘭学を中心にした知識階級の消滅、外交関係における保守化…等)を自ら失う事となり、これ以降の時代に置いて、急速にその権威を失って行く事となり、弱体化した幕府は崩壊への道を歩み始める事となる。
(無論、その他にも様々な出来事が起こってくるのだが)

★ 花火

真空の宇宙空間で花火が打ち上がるかと言えば……基本となる火薬には、酸化剤が混ぜ込まれているので一応は可能な筈です。
ただし、打ち上げる時には、燃焼材に着火させる為には、火によって着火させる事が出来ないので、電気的な方式によっての着火か、何か別の手段が必要とされるでしょう。
また月面は、ほぼ真空である事と重力が地球の6分の1でしかないので、どの様に打ち上げられた花火が広がるかは、実際に何度か打ち上げて実験しなければ、綺麗な形での打ち上げは難しいかも知れません

★御隠居の正体

宇宙人でした。(笑

と言う事で、今回の「大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾六!」終了……

さて……半年の間、見続けてまいりました「大江戸ロケット」も最終回を迎え、惜しまれつつも終幕となりました。
今期放映されたアニメの中では、自分に一番あっていた作品で、毎回楽しく見せてもらった作品……なんでまた、こんなにも面白く感じて見る事が出来たのか、今でも少々不思議に思っております。
ただ一期一会……よい出会いであったと満足してます。
(でも最後の方で、鉄十がいなかっ多野が残念だな〜)

長々と半年間に渡って、書き続けて参りましたブログ内コンテツ?「大江戸ロケットの時代!」も、これにて終幕!
お付き合いありがとうございました!
(いや……見ていてくれている人が、はたして何人いたか不明なんですが、ゼロじゃないよね?)
ともかく今後の、自分なりの「大江戸ロケット」の関係は……書く書くと言っていた。
『大江戸ロケット!駿平凌辱本』の小説本を次のコミケに出せたら出したいと……笑
その時は、よろしく!
さて……封印していた舞台劇版『大江戸ロケット』の原作台本を読むとしましょうか、TVアニメとは別の面白さを求めて
(舞台劇のDVDを購入しようかと迷い中……セット売りだもんな、微妙です)

追記……書き綴った「大江戸ロケットの時代!」の内容なのですが、そのごの調べて事実誤認の項目と言うか、資料の読み間違えで、事実でない話が結構あったり……なかったり……書かれていることを鵜呑みにしないで、変だなと思った場合は、自分なりに調べてみてください
そうだ!それを狙って間違った事を書いたんだ!(なんちゃって、ぜんぶうそ!)

ニコニコ見つけた舞台版「大江戸ロケット」のラスト!



ああ……やっぱりDVDを買おう。

と言う事で、今日はこれにて!


2007年09月25日

大江戸ロケットの時代!其の弐拾五!

★大江戸ロケットの時代!其の弐拾五!

さて、大江戸ロケットも残すところ後一話!
どの様な展開と言うか、落ちを見せてくれるか、それに満足する事を、この半年間見続けてきた自分達に出来るのか?
期待しながら、最終回を待ちたいと思います。
(愚痴になるが、以前に最終回直前の話と最終回の二話を、酷い話……と言うよりは、まるで意味不明で理解不能で見てる人間に対して、舐めきった展開を見せ付けた挙句、映画で完結などと言うことをしやがったアニメがあって、その最終回を見た直後に、録画していたビデオを破棄して、買っていたCDを粉砕してゴミに出した記憶があります……そんな最終回にだけはしないでください)

★粋

今回、大工の三太がしている彫刻ですが、職人の粋としての行動と捉えると納得できるのではないでしょうか?
江戸時代に置ける一人前の職人(または町人)と呼ばれる者達の気質として、見えない部分に金をかける(または凝る)と言うのがありました。
(例を挙げるなら、天井裏や梁の死角になる部分に彫刻をするとか、褌や着ている着物の裏地などの見えない衣装に、贅沢品を使用したりしていた……特に天保の改革の時代には、反骨の精神としてその様にしていた面もあるようです)
そして花火と言うのが、ある意味、その最たるものとされていました。
なにせ花火の製作は、夏に打ち上げるために、その作業は真冬から始まり(ちなみに花火を製作する場所は、当然ながら火気厳禁なので、いくら寒くても暖房などを使用できないと言う厳しい作業条件)、そして半年近くの時間をかけて製作した花火を、夏場に打ち上げる……ほんの一瞬、あっという間に消え去ってしまう事に、辛い作業と長い時間をかける花火……花火師を指して、道楽者の最たる商売と言われた由縁でもあります。
(ただし、この道楽者の意味には、卑下する意味合いではなく、そのような後に何も残らない、一瞬の為に長い時間をかける花火の製作と言う仕事を黙々とする花火師達に対する、感嘆の念が含まれています)
また当時の江戸の町に置いては、火災が非常に多く、その様な災害によって、創られた物が灰燼に帰すという事例も多くあり、物を残すと言う事に対して、それほど執着が多くなかったと言う事もあるかも知れません、そして江戸の町に住まう職人達は、品物は残せないとしても自分が培った技術を、後人の者達に叩き込むようにして残して行くという、職人としての技術を後世に伝えて行く方式を選び、それらの技術は形を変えながらも、現代の日本と言う国の基礎を創りあげたと言えるでしょう。
(ただし残念ながら、昔から伝わってきた各種の技術なのですが、後継者不足や合理化の波によって、その多くが消失してしまう事となってます)

★氷

この時代に置いて、当然ながら日本では、夏場に氷を製造する技術はありませんでした。
(ただし、外国に置いては実験室レベルでの製氷装置は、かなり昔から完成されており、1810年にはスコットランドのジョン・リズリが 空気圧縮機を使用した冷凍機を製作し、世界で初めて冷凍機によって氷を作っておりましたし、天保13年に当たる1842年には、現在の冷蔵庫と原理的には同じ物が考案され実験が行われています)
今回使用した氷の出所は、夏期に置いて江戸の将軍が涼を求める為にと、富士の風穴・氷穴(夏場でもに数度位までにしかならない)に冬場に切り出され保存されていた氷が使用されたと思います。
この氷は、将軍の暑気しのぎとして使用される他にも、江戸城に登城してくる各藩の藩主などにも下賜され、夏場に氷を食する事ができると言う事によって、将軍の権威を高める効果も併せ持っていました。
まあ、それだけ貴重な氷……と言う事でしょうか?
ただし、あれほどまでに大量の氷が貯蔵されていたか不明ですし、富士の風穴・氷穴から、江戸まで輸送する間に、かなりの部分が溶けてしまい、江戸の将軍の元へと届けられる量は、それほど多くなかったとか……
(また猛暑の影響により、輸送の途中で氷が全て溶けてしまい、責任を問われた幕府の担当者が切腹してと言う記録もあるそうです)
まあ……アニメだから……でしょうか?
(ただし場所が、下田の海のそばと言う事なので、海路によって運ばれたとしたら……可能かもしれません)

★GFができた……

今回の俊平君……ええ、学生時代の話なんですが、つるんで馬鹿していた仲間の一人が、突然に付き合いが悪くなったと思ったら……GFできていやがった!
いや……ふと思い出したの(笑
(ちなみにそいつは、半年後に別れました。ザマぁミロ……何てことは、思っても言わないで、慰めてあげました……内心喜びながら……笑)

と言う事で、今日はこれにて!

2007年09月18日

大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾四!


★大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾四!
と言う事で「大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾四!」でございます。
残すところは後二話!
どの様な展開になって行くか、楽しみでもあり…少々寂しくもありと言う所でしょうか?

★立小便

何か今回話題になりそうな感じの『女の立小便』発言!
記録を探ってみると、「南総里見八犬伝」を書いた戯作者の滝沢馬琴(曲亭馬琴)が、京都の方へ旅をした時の記述に「京女の立小便」と言うのがあり……
「富家の女房も小便はことごとくたったままする。(中略)従者を2、3人つれた女が道端の小便桶へ立ちながら尻をむけて小便をしても、恥ずかしそうな様子もなく笑うひともいない」
だったそうです。
当時の風物を検証すると、京都以外でも女性の立小便と言う行為は一般的で、逆に江戸に置いて女性がしゃがんで用を足す方が珍しかったようです。
この風俗は、結構後まで残っていたようで、明治時代末頃まで、女性は平気で立小便をしていた記述が見られます。また地方によって、男性の様に画一的ではなく、様々形式の女性による立小便のスタイルがあったとか……
(これは当時の日本人の衣服である着物を着用している場合、しゃがんで小便をする時よりも、立小便スタイルの時の方が、肌を露出させる部分が結果的に少なくなると言う点にも関係があるのかも知れません)

ちなみに女性の立小便文化?は、結構古くからあるようで、海外に置いても紀元前5世紀のギリシャ人のヘロドトスが、エジプトに赴いた時に、エジプトの女性が立ち小便をし、反対に男性がしゃがんでしている姿を見て、びっくりしたという記録があります。

また戯れ歌や啖呵(たんか)売りの口上(こうじょう)の一つに……
「四ツ谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立小便」
なんてのがありますが、これは四ツ谷赤坂麹町の付近には、芸者さんなどが多くおり、その芸者さん達の事を、色んな意味合いを含めて指していたとか……

余談ながら現在、東京の国立競技場のトイレには、女性用の立ち小便器があるそうで、主に世界各国から来日するスポーツ選手の為にだそうです。もっとも、最近では使われることはないらしいですが……
(世界的に見れば、女性が立小便をするという行為は、珍しく無いという事か?)
ちなみに女性用立小便器を製作したメーカーは、トイレ機器メーカーで有名な「TOTO」で、1971年頃まで、女性用の小便器を製作していたそうです。
(現在では製作中止だそうですが…)

★下田

今回、おりく達が対艦ロケット?を製作していた下田なのですが、江戸に対しての重要拠点の一つ(江戸湾に入る艦船が、通らなければならない地点)で、当時は異国船が頻繁に出没するポイントだったりします。
と言う事で、この地に対艦ロケットを発射する基地が作られたのは、江戸を防衛する為としては、軍事学的にも自然な事かも知れません

ちなみに、この地を収めていたのは伊豆韮山代官『江川英龍』こと通称『太郎左衛門(たろうざえもん)』または号の『坦庵(たんなん)』の呼び名のほうでよく知られている人物!
洋学、とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、日本に西洋砲術を普及させたのみならず、幕末に置いて崩れ行く幕府の屋台骨を支えていた人物であり、彼の死が幕府の瓦解を早めた原因の一つではないかと思われるほどの傑物でした。
はたして今後の『大江戸ロケット』の作中には出てくるか不明ですが、当時の時代背景に置いて外す事の出来ない人物である事は確かです。

ついでながら近年に置いては、ミミー星人によって沈没していた戦艦大和が改造されて、自爆ロボット・アイアンロックスとなった時に、目指した先が下田で、何故か漁村の下田の港を攻撃しておりました……関係ないか?
ちなみに以下が、戦艦大和とアイアンロックスの諸性能の対比なんですが……何処をどう改造したのか、いまいち不明だったりします。

全長:80m(大和は260m)…なんで縮む!
重量:15万t(大和は7万t)…なんで増える!
主砲:ロケット弾もどきので、それほど破壊力無し(大和は46p三連装砲三基九門)…なんでそのまま主砲を使用しない!
特徴:浮き上がって止まると15分後に爆発する…無意味な機能だと思う。(しかも、ウルトラセブンに止めのエメリューム光線を受けても、何故か誘爆せずに小規模な爆発しかしなかった!)
(参考文献・空想特撮シリーズ ウルトラセブン より)
そう言えば、一峰大二が描いた漫画版のウルトラマンに怪獣「ヤマトン」と言うのが出てきていたが……更に関係がないな……

★ロケットの打ち上げ

基本として、ロケットの開発とは、失敗の歴史と言って良いほどに失敗の連続であり、その失敗を教訓にして次の成功に結びつける……と言う事を繰り返してきました。
今回おソラさんの助言と言うか、必要な知識や技術の提供があったとは言え、基本的に失敗を重ねながらでも経験を積み上げなければ技術(スキル)は上がらず……と言う事ですので、挫けるな清吉!
(人生に置いても『失敗して何ぼ』が基本ですからね…少なくとも自分は、そう思ってます)
とは言え……打ち上げ実験をしてなかったのか、清吉?

★対艦ロケット

実用的なロケットが製作され、実戦に投入されたのは第二次大戦時のドイツが製作したV2号(開発名称 Aggregat 4【略号:A4】)が最初ですが、これは地上の固定目標に向かって発射された物であり、海上を移動するような艦船などの移動目標に対して発射され、その艦艇を撃沈した最初の例は、第三次中東戦争中の1967年10月21日にエジプトのコマール型ミサイル艇がイスラエルの駆逐艦エイラートを撃沈したのが最初で、続いて第四次中東戦争中の折にイスラエルとエジプト、シリアの間で生起したラタキア沖海戦でにおいて、互いに対艦ミサイルを発射し合い、シリアのミサイル艇5隻、エジプトのミサイル艇3隻がイスラエルのミサイル艇によって撃沈されている。(イスラエル側の被害は不明)
(ただし両方共に使用されたのは、地対艦ではなく艦対艦ミサイルですが)
その後に置いては、1982年にイギリスとアルゼンチンとの間で起きたフォークランド紛争に置いて、アルゼンチン空軍のシュペール・エタンダール攻撃機が放ったエクゾセ対艦ミサイルが、イギリスの駆逐艦シェフィールドに命中してこれを撃沈している。(これも空対艦ミサイルで地対艦ミサイルではない)
調べた限り艦対艦ミサイルによって撃沈された艦艇は、存在していないようである。

今回製作されている地対艦ロケットなのですが、海上を移動する船に向かって発射された場合、その誘導をどう制御するかが最大の問題ではないだろうか?
元々無誘導のロケットは、精密射撃には向かない兵器であり、多数を広い範囲にばら撒くと言う方式によって、面の制圧効果を期待する兵器なので、今回のような海上の艦船を無誘導で狙い撃つという様な用兵は、不可能ではないが、非常難しくて実現できるかは解りません
(無論のこと、それなりの訓練はするでしょうが、はたしてどうなるか……)
ただし長射程を求めると言う面に置いては間違いではないでしょう。
この当時の大砲の射程は、当時の日本が使用していた一般的な大砲に置いては、その発射位置に置いて多少の違いはあるが数百mから1kmと言うところで、海外に置いて普及し始めたアームストロング砲などは、数kmと遥に長い射程と、精密な射撃が可能となってました。
それらの大砲の射程外から、対艦ロケットを発射して撃沈する……戦術理論としては、間違いではないですが戦果を挙げることは、やはり難しいでしょう。

と言う事で、今日はこれにて!




2007年09月11日

大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾参

大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾参

と言う事で「大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾参」でございます。


★海老車

今回鉄十が披露した技である「海老車」とは、TV版「柔道一直線」の主人公である一条直也が、アメリカ人柔道家のロバート・クルスの必殺技「ライナー投げ」(早い話、力任せに壁に向かって相手を投げつけると言う技……柔道技じゃないぞ!)を破るために編み出した技(必殺技と言うよりは、受身技か?)で、鉄十がしたように身体を空中で「くの字」に曲げて、ブーメランの原理で投げた相手の所の戻っていくと言う技……どんなんだよ!


★大塩平八郎の乱

以前にも少し書きましたが、大阪の元・与力である大塩平八郎が、「救民」の旗印の下に引き起こした騒乱の事……詳しくは「大塩平八郎の乱」を参考に
ちなみに作中で撃たれていた大砲は、中古品だったという事もあり、あんまり役には経たなかったそうです。
(大塩平八郎が集めた大砲や火縄銃などの火器は、乱を引き起こす前に近在から買い求めえたとあるのですが、これは大塩平八郎が軍学を含めた私塾を開いていた事と、元・与力であると言う事を含めた人望によるものだと言えるでしょう)

作中でテンベイ(字が不明なのでカタカナで表記)が……
『幕府転覆……』と言ってますが、大塩平八郎の考えでは、幕府を腐敗させていた上層部を糾す為の世直しとしての挙兵が主目的であり、幕臣である大塩平八郎としては、幕府に対して敵対すると言う意思は、それほど無かったと言われています。
(とは言え、この乱が幕末と言うか幕府崩壊へと向かう第一歩とされています)

余談ですが、乱が起こす事になった直接の原因は、大阪奉行所との関係悪化なんですが、当時の大阪奉行であった跡部 良弼(あとべ よしすけ)は、老中である水野忠邦の実の弟だったりします。
(水野忠邦が失脚した時に、何故か失脚する事無く、政治的命脈を保ち続けたんですが、その理由は、鳥居耀蔵とそりが合わず、常々鳥居と敵対していたためとも言われている)

★『小人の讒言で大望が潰える』

これもテンベイの台詞ですが、『大塩平八郎の乱』に置いて、味方である内部の門下生の中から裏切者が出た事によって、結果的に乱が失敗に終わった事を指していると思われます。

★大阪

作品中でも言われいますが「おおざか」と一般には濁って発音されておりました。
文字通り坂の多い町であり、物資などの移送は、主に縦横に張り巡らされていた運河によって行われており、江戸の「八百八町」に対して大阪の「八百八橋」と言われていたそうです。
(まあ、江戸を含めた沿岸に設けられた商業都市の大半は、物資搬入を考えて運河が入念に整備され、それによって発展しておりましたが)

作中では、大阪まで海路で七日ほどで到着すると言う事でしたが、陸路の場合は普通の旅人の足で12〜14日位の日程で行けたそうです。
(快速と言うか速達の飛脚などの場合は、7日前後だったとか)
また当時は、基本的に旅客を中心とした海路の交通は無く、物資の運送に便乗して旅人が相乗りすると言う場合がほとんどでした。
(当然ながら、船代と言うか金は結構かかったそうですし、難破などの事故も心配されておりました)

★果心居士(かしんこじ)

室町時代末期に記録されている幻術師(忍者?)で、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、松永久秀らの前で幻術を披露したと記録されている。
今回のお伊勢の台詞…「果心居士かい」と言うのは、果心居士のエピソードの中の一つに、巨大な牛を衆人環視のもとに飲み込んで見せると言う幻術を披露した記録がり、そこからの発想だと思われます。
なお果心居士の出生についてには、日本に漂着した異国人(インド人説とペルシア人説の二つがある)の子孫と言う説があったりします。

また、その伝説的なエピソードの数々により、様々な小説の題材として取り上げられており、司馬遼太郎の小説『果心居士の幻術』を始めとして、山田正紀の「風の七人」、山田風太郎 『伊賀忍法帖』……等が、果心居士が登場する小説は数多く、以上に上げた作品は、自分の御奨めだったりします。
(面白いよ)

★琵琶湖

日本最大の湖……その昔、変身忍者嵐において血車党が要塞を築いていた…意味不明です。
機会があれば、名物である「鮒寿司」を是非に食いたいもんだ。
(かなり独特な物らしいけど)

と言う事で、今日はこれにて!

2007年09月04日

大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾弐

★大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾弐

と言う事で、あいも変わらずに『大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾弐』でございます。

今回のお話も前回に続いて、本筋とは別路線をまっしぐら……でしょうか?
見ている方としては、賛否両論と言う所ですかね?

★ ショタ

前にも書きましたが、江戸時代に置いて稚児趣味(年少の男児を愛すると言う趣味)は、けして否定されてはいませんでした。
まあ大半は、男性が少年を愛すると言う形態を取っていたのですが、裕福な商家の御内儀さん等と言った一部の女性の間に置いて『役者買い』と言う事で、同様な事が行われていたとも言います。
(初心な少年の初物を頂き、自分の好みとなる男に育て上げて行く……なんて事例も、記録と言うか、話として残されていたりします……お伊勢さんにぴったりかな?)
まあ、それらの事を考えれば、人の欲望は今も昔も大差無いと言う事ですので、ショタ趣味が爆発しても変では無いという事でしょうか?
(実際に修平くんは可愛いですからね……笑)

ついでながら天鳳の眼鏡趣味なのですが、日本に渡来したのは1551年で、フランシスコ・ザビエルが中国・九州地方の大名、大内義隆に献上したのが最初とされております。
その後は、日本に広まり江戸時代中期には、さほど珍しい物でもなくなり(値段的に高価であるというのは別にして)、一般の人達にも眼鏡と言う存在は知られるようになっていました。
そして現存する日本最古の眼鏡は、久能山東照宮に保存されている徳川家康の遺品の眼鏡だそうです。
う〜ん……徳川家康て、元祖眼鏡くんだったんですね!(萌えますか?)

ついでながら、東京は上野の不忍池に「めがねの碑」があり、名古屋の熱田神宮には「眼鏡の碑」(何故か遮光土偶が奉られてるが)があり、佐賀県の田島神社には「メガネレンズ発祥の碑」があり、大阪市には「めがね温泉」という銭湯(温泉タイプ)があるそうなので、御近所方は是非に行ってみてください!
ビバッ!眼鏡!
(いや……眼鏡が三度の飯なみに好きでして、眼鏡っ娘がいたら、それをオカズにして丼飯を三杯は食えるという体質なもんでして……笑)

★平賀源内

今回若返って遊んでいた場所なんですが、吉原っぽい感じなんですが……これも以前に書いたとおり、平賀源内は基本的に男色家なので、遊ぶ場所が違っているのではと……ただ、これも以前に書きましたが、この天保年間に置いて男娼を扱う場所が壊滅状態となっていましたので、仕方がなく吉原の方へと遊びに行ったのかも知れませんね。
(両刀使いと言う説もありましたし……)

★ アイシー

鉄十が、犬の姿になっているおぬいちゃんを見た時に、勘違いした犬の名前なんですが……
元ネタは、1980年(昭和55年)に放送された「スーパー戦隊シリーズ」の『電子戦隊デンジマン』に登場したデンジ犬の「アイシー」だと思われます。
このデンジ犬のアイシーなんですが、外見は普通のチャウチャウ犬(そう言えば鉄十も「チャウチャウ〜」と言ってたな)なんですが、、実はデンジ星人の科学力を結集して作られた人語を話すロボット犬……と言う設定でして、劇中では本当のチャウチャウ犬が出演しており、その名演は見る者に感動を与えてくれました。(いや本当に)

★ 濃

おソラさんの額に浮き出た文字……すいません!
自分は基本的に、ウォーターラインシリーズを中心だったので、濃い説明が今ひとつ不明です。
ウォーターラインシリーズは、一種の奇跡ともいえる模型4社(静岡模型教材協同組合=青島文化教材社、田宮模型、ハセガワ、フジミ模型……後のフジミ模型は脱退)合同の統一スケールシリーズで、いろいろな(マイナーな艦船を含めて)でていて楽しめたんですが、各社の技術力に違いが如実に現れる結果となったのが、なかなかに辛かった気もしますね。
機銃の造形一つにしても、各社によって違いがあり、部品取り為だけに同シリーズの別の艦を購入して、繋ぎ合わせて完璧にしようとしたり、波の造形を突きつけるために発泡スチロールを焼いたり溶かしたりしましたし、資料用にと丸や世界の艦船を買って調べたり、改装前のタイプと改装後のタイプに違いを調べたり……・やはり濃いか?
(いや…男の子は、プラモに対しては大なり小なり濃いもんです……笑)

と言う事で、今日はこれにて!


2007年08月28日

大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾壱!

と言う事で、回を重ねて『大江戸ロケットの時代!〜其の弐拾壱!』と言う事でございます。
物語の展開は、基本中休みと言う感じですが、おソラさんと清吉の今後を考えると意味深な回とも言えます。

★ ドリル

今回は、やたらドリルをぶん回した人物が登場しておりますが、ドリル兵器と言うか、ドリルを使用した兵器に1930年代にドイツで研究された物で「ミドガルド・シュランゲ」と言う代物があります。
(まあドリルが主要兵装ではないのですが……)
予定していた性能は……
キャタピラで地上を30km/hで走行して、水面下100mを30km/hで航走して、さらに驚くべき事に地中を10km/hで移動するという代物!(悪魔で計画値でしたが)
何となくガンダムの試作MSアッグを思い起こさせるコンセプトですな。
ちなみに武装は……250kg炸薬地雷1000個!10kg炸薬地雷100個!(逆かも知れない)連装機関銃12基!車体の先端には合計8800PSの9つのエンジンで駆動する直径1.5mのドリルが4基!
キャタピラ駆動に14台のエンジンで19800PSを搾り出し、これに12台で3000PSの補助動力を足して水中移動し、30名の乗員のためには20のベッドと電気調理式キッチン、580の酸素ボンベが用意されていました。
車体は幅6.8m×高さ3.5m×長さ6mのブロックを77個数珠繋ぎにしたもので、なんとなく列車をイメージすればよいのだろうか?
当然ながら計画途中で、現実的でないと計画は廃棄されたそうです……賢明と言うか常識的な判断を下す人がいて、本当に良かったと言うか残念と言うか(笑
(余談ですが「ミドガルド・シュランゲ」がドーヴァー海峡の下を穴掘って進撃して、イギリスを大混乱にするという架空戦記漫画を、大野安之氏が描かれていたりします……流石にギャグとしてですが)
ちなみにドリルを一番印象的に使用したキャラクターは「ゲッターロボ」に登場したゲッター2だと思うのですが…どうでしょうか?

★ SM

赤井西之介の隠された趣味であるSM……

元々SMのうち、Sの方を意味する「サディズム(サド)」とは、19世紀のフランス革命期に活躍?した侯爵・作家であるマルキ・ド・サド(本名はドナスィヤン・アルフォーンス・フランスワ・ド・サド)が書いた「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(ソドムの市)」等、非常に嗜虐性向の強い小説作品群(当然ながら当時は出版、即発禁パターン)から、後年ドイツおよびオーストリアの精神医学者である。クラフト=エビング(19世紀後半から20世紀初頭に活躍した人物)が作り出した用語であり、性的嗜好の一つのタイプであり、性的な交渉相手(必ずじも人間が相手ではなく、動物の場合も含む)に対して、身体的または精神的に苦痛を与えることによって性的快感を味わったり、そのような行為を想像したりして性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプです
(日本語で表記すると「加虐性淫乱症」となるが、差別的な意味合いが多分にある)

またMの方を意味する「マゾヒズム(マゾ)」とは、オーストリアの貴族・作家であるレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ男爵の書いた小説『毛皮を着たヴィーナス』等の作品において特徴付けられる精神的あるいは肉体的な苦痛に対して快楽を感じる心理状態について、やはりクラフト=エビングがその著作(性的倒錯の研究書として著名な『性的精神病理』)の中に置いて名付けた用語であり、サディズム同様に性的嗜好の一つのタイプと言えます。

作中で見る限り、赤井西之介はM的な性的志向があるように見受けられるが、同時に殺戮に対する快感も同時に感じ取っている面も見られ、S的な嗜好も見受けられる。
その道の専門家に言わせれば、SM嗜好は表裏一体的な面があると言われており、相手や状況によってSとMの立場が変化する場合もあり、不自然と言う程の事はないと考えられる。

★ 引札(ひきふだ)

早い話が、いまで言う所のチラシの事ですね。
江戸で作られて広まった造語で、大江戸ロケットの活動時代にとなっている天保時代には、広告として一般的な意味合いで使用されていたようです。
ただし公衆電話に貼り付ける(この時代に公衆電話自体ないが)とか言うような、数撃ちゃ当たると言う様な使い捨て方式では配られずに、かなり凝った造りの多色刷りの物が使用されて、見るだけでも楽しめるような工夫(すごろく・簡易的な浮世絵)がされている物が多く、お得意先に大晦日だとか時期に合わせて配られていたのが実際だそうです。
(そう言えば、元祖広告業者としても平賀源内は有名ですな)

★ 戯作者

この時代に置いては、広義で言えば本を書く全ての人達を指しますが、今回に置いては芝居の台本を書く人物を指していると思われます。
ついでながら、この当時の舞台はキチンと台本の言葉が一言一句決められていた訳ではなく、主な主役や周囲の登場人物達の台詞は、かなり大間かに決定されおり、舞台稽古の最中に読み合わせ的に台詞を煮詰めて(舞台にあわせながら)決めて行くと言う方式が取られる場合が、多かったそうです。
(現在でも大衆演劇と呼ばれる種類の大衆劇とかは、そんな感じだそうです)

★ チャイナドレス

今回、爆発小町こと鍵屋のおりくが着用しておりましたチャイナドレス……
元々は、当時中国を支配していた満州族によって建国された清朝によって広まった満州族の伝統的な女性の衣装の一種である『旗袍(チーパオ)』が変化していった衣装です。
(特徴は、横のスリットがある事によって、足の稼動範囲が広く活動的な衣装であると言う点……元々騎馬を得意としていた満州族が、乗馬などの事を考え作られていた言います)
ただし大江戸ロケットの時代(天保年間)に置いては、まだまだおりくが着ていた様な風になっていませんでした。
(まあ鎖国の真っ最中ですが、清国との交易は続けられていたので、それらの文化が長崎から流入しなかったとは言えないでしょうが)
個人的に言わせていただければ、チャイナドレスは大好物です!
スリットからチラリと見える太股の白さもいいですが、ノースリーブ・タイプの脇の甘さの感じが実に良いですし、身体の線のピッチリ感も好きです!
ああ……そんなチャイナドレスの美女の服が、引裂かれていくようなエロいシーンを見てみたいです(笑
(まあ……自分は、基本エロ!ですから)

★ ビール

長屋の面々が、打ち上げで飲んでいたお酒なんですが、何となくビールぽい?
ビール自体は、1613年(慶長18年)に日本に伝わってきているのですが、文化的な違いからか、生産まではされていなかったようです。
本格的に日本でビールで生産され始めたのは1869年(明治2年)頃から、大小の規模のビール製造乱立したようです。
それらを考えれば、当然ながら彼らが飲んでいる酒はビールである筈ないのですが、ビール自体の製造方法は比較的簡単なので、長屋の連中が偶然に創りあげたどぶろく的な地ビールと言う事で解釈しておこう。
(ちなみに日本で、ビールが明治維新まで広まらなかったのは、主に食文化の違いによる面が多く、米を中心にした米食文化が発展した日本に置いて、麦(パン食文化)を原材料とするビールが普及しなかったのは当然の事と言えるでしょう)

と言う事で、今日はこれにて!



2007年08月21日

大江戸ロケットの時代!其の弐拾!


東京見聞録を書こうと思ってたんですが『大江戸ロケットの時代!』の順番でしたので、『おお!これが女体の神秘だ!ストリップ観戦記』は明日にでもと言う事で御願いします。
いえ、そのネタも一緒に書いても悪くないのですが、全体的にネタ不足気味なもんでして、少しでもブログに書くネタを節約しようと言うセコイ考えもありまして……笑

と言う事で『大江戸ロケットの時代!其の弐拾!』でございます。
ついに大江戸ロケットも大団円を迎えての最終回……ではなかったですね。
全26話構成なので、あと残るは6話と言う事で、どの様な展開を見せてくれるか楽しみに見て行きましょう。

★コミケット72の大江戸ロケット

さて今回のネタは、先日に参加してまいりましたコミックマーケット72に置ける「大江戸ロケット」同人誌情報を少し……
三日間全て行って見てきたんですが、参加サークル数が約35000を数える中で、自分が手に入れる事が出来た「大江戸ロケット」関係の同人誌数は……たったの5冊でした。
これは沢山出ていた中から、5冊を選んで買ったわけではなくて、とりあえず目に付いたのを買い込んだ結果だったりします。
あんまりにも少なすぎ……
勿論!自分の見落としと言うのも多々あるとは思う(そう思いたい)のですが、それにしても少なすぎです!
ちなみに買い込んだ内容を簡単に分類をすれば……源蔵ママのキャラクターデザインをしている安倍川キネコさんのサークルで出していたキ源蔵本が1冊、アンソロジータイプの同人誌が1、銀×赤井のヤオイ本が2冊(内一冊はコピー本)、清吉×ソラのH本が1冊……と言う所でした。
期待していた駿平凌辱本は発見できず!(クッソー!)
ついでにコスプレ広場に行ったのですが、やはり大江戸ロケット関係のコスプレイヤーさんは、おられませんでした。
(まあコスプレ広場に居たのは、1日目と2日目で合計時間も三時間ほどだったので、見落としたのかもしれませんが)
放送が終了した後に開催されるコミケ73に期待でしょうか?
(かえって少ない可能性も……笑)
こうなったら、コミケ73にサークル参加する事が出来たら、自分が突発で『大江戸ロケット!駿平凌辱本』と言うのでも書いたろか?(笑
(今回見た展開で、白い獣の姿に戻ったソラと清吉の獣姦とか俊平と犬の姿に戻ったおぬいの獣姦小説とか……およそ需要の無い話ばかりを考えてしまうな……笑)

★TV

作中で、当然のような存在として表現されているTVなのですが、当然ながら現実にTVが一般に放送されるようになったのは、はるかに後年の事です。
最初にTVの基本概念が考え出されたのは、1877年で英国のソーヤーと言う人物が、機械走査概念の提案したのが最初とされています。
(つまり天保14年(1843年)の34年後ですね)
その後に、提案された理論は実際に必要とされるシステムの発明や、新たな概念により、少しずつ現実的な形となっていき、世界各国の研究の結果として実用的なTVが登場しだし、1920年代の後半から1930年代に今のTVが産声を上げた……と言う所でしょうか?
ただし、その直後に起こされた第二次世界大戦によって、民間に対しての普及は大幅に遅れたとされています。
(ただし、技術的は軍事技術の一端として研究が進んで行き、基本技術などは大幅に進化し精錬されて行ったと言う面もありますが)
そして第二次世界大戦後に、それまでに得られた技術を元に、各国で広くTVが普及しだして行きました。
ただし当初のTV(正確には受像機)の価格は高価で、昭和27年に販売された松下電器産業のモノクロ・テレビ受像機の発売価格は29万円(当時の平均的なサラリーマンの月給が20000円前後だった)と言うのを考えれば、今の時代なら高級外車を買うような感覚であったと思われます。
(諸外国に置いても、実情は似たようなものであったらしいが、米国は例外的に安くなるまでの期間はかなり早く、普及率はかなり急激に上昇したと言われている)
そして現在、TVの放送方式がアナログ方式からデジタル方式へと変化しはじめております。
(まあ…自分はギリギリまで、アナログ放送で見ると思いますが)

★ 石川島の作業場

大江戸月飛女計画が推進され、ロケットが制作される場所となった石川島の作業所なのですが、多分これは、寛政の改革の折に火付盗賊改方の長官だった長谷川宣以(通称・鬼の平蔵…池波正太郎の創作らしいけど)が犯罪者の更生施設として石川島に建設した人足寄場の事だと思われます。
基本的に罪を犯した者に対して、授産行為をして自らの罪を購わせると言う事と、基本的な技術を習得させる事によって、犯罪の再発を防止すると言う理念があり、近代的な法の理念に通じるシステムと言えるでしょう。
(実際に効果はかなりあったとされています)
それ故に長谷川宣以の最大の功績は、この人足寄場を設置した事だと評価され、後年に置いて日本と言う国家が、近代的な法治国家であることを外国に対して示す際の、最高の例として挙げられる場合が多々ありました。
そして石川島に設置された人足寄場の人材・労働力などを利用して、後に幕府が石川島造船所を設置し、明治時代となった折にはそれらの施設が民間に払い下げとなり、一大重工業の雄となる石川島播磨重工業株式会社(現・株式会社IHI)の基礎となって発展して行きました。
(余談ですが、株式会社IHIの100%子会社である株式会社アイ・エイチ・アイ・エアロスペースが、宇宙ロケットのエンジンを製作していたりします)

そして面白い話として長谷川平蔵の住居跡に、数十年してから遠山景元(遠山の金さん)が住んだという話があったりするのですが、はたしてこれが物語りに関わってくるかは……不明です。

★ 夕

最後になって、赤井から名前を呼んでもらった蒼い獣の女……ゆう……
多分漢字で書くと『夕』なのでしょうね。
観念としては赤井が言っていたような所ですが、夕顔、夕日、夕映、夕方……暮れ行く日の最後の一瞬、その刹那に見せる哀しいまでの美しさと寂寥感……哀しいくらいに似合ってしまった名前かもしれません……

と言う事で、今日はこれにて!


2007年08月14日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾九!

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾九!

物語は急転直下の展開を見せている大江戸ロケット!
はたしてコミケでは、大江戸ロケットの同人誌は売られているのか?
はたしてコミケで、大江戸ロケットのキャラクターのコスプレをしてくれる、レイヤーさんは居るのか?
(個人的には…鉄十、赤井、銀…辺りを見てみたのだが…て、みんな男キャラばかりやがな!…おそらさんと蒼い獣の女、番犬小町と爆発小町もみたいですね)

★天保の改革

さて「大江戸ロケット」の舞台となっている時代に行われた、水野忠邦が主導していた「天保の改革」なのですが、この改革基本的には以前に行なわれた「享保の改革」、「寛政の改革」と同じ物と言えます。
まあ行われた政策の内容に多少の変化はあるのですが、倹約を中心とした緊縮財政と武士(と言うか徳川幕府政治)の権威を取り戻す事を念頭に置いた各種の政策、そして武士の基本収入となる米価の安定と徳政令等による困窮している武士の救済を含む経済政策……と言う所でしょうか?
江戸時代の三大改革と呼ばれた三つの改革なのですが、結果として「享保の改革」は、一応の成功を見て徳川幕府の中興の政策であったと言われ、次いで「寛政の改革」は、失敗こそしなかったが成功もしなかった政策と評価され、そして最後の「天保の改革」は、失敗した政策と評価されております。
これらの似たような政策の結果が、何故にこうまで違ったかと言えば、これらの政策を劇薬の様な薬と考え、徳川幕府を人間として考えた場合に、何となく解るのではないでしょうか?
すなわち徳川幕府と言う組織の持つ、その時の生命力による差であったと言うことです。
徳川幕府と言う組織が比較的若く、その生命力に満ちていた時代に行われた「享保の改革」は、何とかその若さ故の生命力の強さで、劇薬と言うべき政策に耐える事ができ、効果を発揮して持ちなおす事が出来た。
だが次の時代に行われた「寛政の改革」では、すでに若くなく生命力の衰え出した徳川幕府は、与えられた劇薬の強さに耐え切れずに、完全に持ちなおす事が出来なくなっていた。
(それでも、まだ多少は何とか効果を発揮したと言えるだろうが)
そして「天保の改革」に置いては、すでに徳川幕府の組織としての生命力は衰え、劇薬に耐える体力を失っており、それ故に逆に悪くしてしまった……そう考える事が出来る。
言うならば、この時の徳川幕府にとって必要であったのは「天保の改革」と言う劇薬ではなく、別の種類の……言うならば、比較的穏やかな種類の政策による改革であり、それにより弱った徳川幕府の体力を回復させたうえで、その回復した体力に合わせた政策をするべきであったと言える。
実際に、その比較的穏やかと言うか、「天保の改革」と言う劇薬ではない、別の政策を取る事の可能性もあり得たのだが、その可能性を潰したのが「蛮社の獄」に於ける鳥居耀蔵と言う存在であったのは、運命の怪しさと言う所であろうか?

鳥居耀蔵としては徳川幕府を守る為(と言うよりは、徳川幕府と言う組織に寄生する自分の地位を守る為と言う方が、その行動様式から言ってピッタリであろう)にと言う建前で行った数々の事が、結果として後々に徳川幕府の命脈を絶つ事に繋がったと言える。
歴史と言うものに、もしも…は無いというが、鳥居耀蔵と言う人物が存在しなければ、徳川幕府の終焉も、かなり様変わりしていた筈だ。
(後年、預けられていた讃岐国丸亀藩から釈放され、東京に変わった江戸の町に出てきた時に……『わしのいうことを聞かなかったからこうなった』と言うような意味の事を言っていたが、これが本音であったのなら、鳥居耀蔵と言う人間の矮小さと自己欺瞞の醜悪さを、当人だけが最後まで知ろうと考えていなかったと言えるだろう……こうなると、逆に哀れさすら私は感じてしまう)


さて、コミケ参加の為に、一週間ほどブログの更新が止まります。
外から更新できるらしいけど……仕組みを理解できんな!(笑
と言う事で、8月19日 東2 W41b『カエルの御宿』にて、「ときめきメモリアル」の成人向け小説出しますので、よろしければお寄りくださいませ〜

今日は……今週は、これにて!

2007年08月07日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾八!

★ 大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾八!

相変わらずにシリアスな展開が進んでいる『大江戸ロケット』本編、はたしてこの先は、どの様な展開が待ち受けているのか、非常に楽しみにしております。
しかしキャラクター的には、ある意味『火縄の鉄十』が一番面白いですな、是非に夏コミではコスプレをしてる人を見たいもんですし、『駿平×鉄十』と言う本を是非に見つけ……ゲホゲホ!
(アフタヌーンの方では、コンビを組んでいたりしますが)
と言う事で、今回も作品の中に出てきた事等を少々……

★千代田の城

今回舞台となる『千代田の城』とは、当然の事ながら江戸城の事ですね。
この時代においては、江戸の町に住む町人達は江戸城とは言わずに千代田の城と言う方が一般的な言い方だったかは、資料を読んでみたのですが確認出来ませんでした。
ただ一般的に江戸に住む江戸っ子を称する人々は、江戸城の事を千代田の城と呼び、江戸っ子ではない人々(地方から江戸の参勤交代など出来ている武士、または江戸に比較的最近出てきた人々…)は、江戸城と呼んでいたと言う話もあります。
ただ全国的は、江戸城と言うほうが広く知られていたのは確かなようです。
(なんで「千代田の城」と呼ばれたかは、千代田に江戸城があったからなんですが)
ちなみに明治維新の折、江戸が東京に改称された時に、江戸城は東京城と言う名前に改称されました。
(ただし、すぐに天皇の住居になったので、東京城の呼称が普及する前に皇居と呼ばれるようになり、その後もやはり江戸城と言う名前の方が一般的になっておりますが)
ついでに清吉が忍び込んだ門の内側の枯井戸の場所なんですが、江戸城には本城・西城にある六大門と、外曲輪にある26の門の合計32の門が存在しており、それらの門の位置等を図面と見比べ、比較的警備が少なそうと言う場所で考えて推定すると、下梅林門が最有力候補となり、その門の傍にあるであろう枯井戸が、神君の抜け穴へと通じる枯井戸に思えますが、はたして本当にそうなのかは不明です。
(結構いい加減な想像ですので……笑)

★ 水道設備

元々海に近い湿原地帯を埋め立てて、都市を作っていった江戸の町に置いて一番の問題とされたのが飲料水を含む上水設備(初期の井戸掘り技術では、深く掘る事が出来ずに塩分を含んだ井戸しか掘れなかった)でして、これは江戸城に置いても例外ではなく、結果として外部から水道を引いて、城内の水を確保してました。
(防御施設と言うか、要塞として江戸城を見た場合には、外部から水源を止められてしまう可能性があり、致命的な欠点となるのですが、江戸城と言う存在は防御施設ではなく、政治の中枢としてのシンボルとして建築された事もあり、それほど問題視はされていなかったようです……要塞としての城は、別の城…駿府城等を確保しておりましたし)
また江戸の町にも、初期に作られた『小石川上水』、続いて『神田上水』『溜池上水』が整備され、江戸の町の発展と共に『玉川上水』『亀有(本所)上水』『青山上水』『三田上水』と次々に作られて行き、その後の統廃合の結果、大江戸ロケットの舞台となっている天保年間に置いては『神田上水』と『玉川上水』を主流にして、江戸の町の上水が賄われていました。
(また江戸時代初期には掘る事が出来なかった井戸も、時代と共に井戸掘りの技術が発展し、掘る事が可能となり同時に使用されるようにもなっておりました)
ちなみに下水の方は、浄水設備とかは無くて、基本は各種河川に垂れ流しで済ませていたようです。
(ただし、汚水の最大原因となる排泄物などは、近在の農家に引き取られていたので、それほど問題にはならなかったそうですが、それでも不衛生なのは否定し切れません……ただし同時期の海外における大都市部では、排泄物の処理方式が特に無く、垂れ流しにされたままの汚水が河川を汚染する事となり、大問題となっていた事と比べれば、まだしもましだったのかも知れません)

★ 江戸城侵入

清吉が侵入しました江戸城ですが、将軍様が住まう恐れ多き場所と言う事もあり、絶対不可侵の場所と言うのが、当時の江戸町民たちの認識でした。
だから清吉の侵入と言うのは、相当の覚悟の上での事なのです。
ただし時代が下って幕末近くの安政二年(1855年)になると、そこら辺の幕府と言うか将軍に対する認識が、かなり変化して来ており(安政元年【1853年】のペリー来航辺りが、一つ切っ掛けか?)絶対不可侵の領域である江戸城に、泥棒が入り込み金蔵から金2000両(4000両の説もあり)を盗み出すなんて事件も起こりました。
(犯人達は、あとに捕まって磔になってますが)
大江戸ロケットの舞台となっている天保期、そして嘉永に到る時期が、秩序を保っている江戸と言う時代の最後の時期だったのかも知れません

★ 弾道計算

駿平が言っている弾道計算ですが、大砲が導入された戦国時代には、それなりの極意(弾道学とは言ってませんが)が研究され、実際に使用されておりました。
ただし、理論的に整理されて、数式として純粋に計算された物ではなくて、かなり大雑把なものと言わざる得ませんでした。
理由は二つで、まず必要とされる計算とは何であるかが、しっかりと把握されていなかっため、計算に不備(予測不能)な事が出たと言う事と、当時製造された大砲や鉄砲の精度にバラつきが多く(ともかく弾丸を発射すると言うレベルでは可能だが)、また発射に使用される火薬の品質も不安定だった為、安定した発射性能を出せずに、不完全ながら何とか計算しても、その計算どおりに砲弾が飛ばなかったと言う事……
結果として、その砲を撃つ者達の最終的な感と経験(発射時の気温や湿度、または装薬などの具合)に頼る場合が多かった事ようです。
そして、そのまま戦争が起こらない江戸時代へと突入し、弾道学を含めた砲術の研究は完全にストップしてしまいました。
だから修平の「弾道計算」も算術の例題と言うか、クイズ的な問題の一つと言う事なのでしょう。
(大江戸ロケットの少し前の時代に、外国との大砲の技術格差に、ヤバイ物を感じ取った高島秋帆と言う人物が、自費でオランダから輸入・製作した大砲と兵学書物から努力の末に【高島流砲術】を創立し幕府にも認められていたんですが、外国嫌いの鳥居耀蔵の讒言の末に捕縛され、ちょうどこの時期に牢屋にぶち込まれております……本編で出番ないかな?)

★ 玉すだれ

天天が使用しているのは『南京玉すだれ』と言う物で、大道芸人の商売道具ですね。
これを器用に歌など歌いながら、色んな品物に変化させ(そう見立てさせ)人を集めて、様々な物品(薬、飴、玩具…小物が多い)を販売すると言うのが、この当時の一般的な芸でした。
(南京玉すだれの芸を見せて、金を貰うのではなくて、人集めの手段として芸を見せていたと言う事ですね)
使用される南京玉すだれは、各種あって使用される玉すだれの数と言うか本数は結構違いがあり、24、36、46……と12本単位で増えて行き、本数が多いほど熟練を要するようです。
天天が今回使用して玉すだれは……100本は遥に超えている数で、それだけ扱いには技術を要する物と思われます。
(ついでに天天の変化する髪の元ネタは、つのだじろうが描いた漫画『忍者あわて丸(TVアニメ化されたときの題名は「花のピョンピョン丸」)』に登場したキャラクターである、なんでもOK事務所の所長の髭が、感情や状況に合わせて手の様に動いていたのからヒントを得た物と思われます……他には漫画の「寄生獣」のミギーが元ネタである可能性も否定できませんが)

★ ヨーヨー

夜桜さんの使用している武器のヨーヨー……桜の代紋が入っているのは、夜桜に合わせた物だと信じましょう!
(二つに分かれるとかは、ないと思う……)
ヨーヨーと言うのは、純粋に玩具として使用されていたものであり、武器として使用が確認された記録は無いそうです……が、アニメとかでは科学忍者隊ガッチャマンの白鳥のジュンだとか、コンバトラーVの超電磁ヨーヨー、漫画のスケバン刑事の桜の代紋入りの特殊ヨーヨーだとかで、メジャーな武器として使われていたりします。

★堀田様・土田様

ご隠居が言っていた老中の名前なんですが……確認した限り実在した老中のなかで堀田と言う苗字を持つ老中は堀田正睦と言う人物がいるのですが、土田の苗字を持つ老中は存在しておりません……似たような名前に土井利位と言う人物がいるのですが、台本の読み間違えか、それとも台本に印刷されていた名前が間違っていたのでしょうか?
11発目で、金さんが…「老中の土井様、寺社奉行の阿部様……」と言ってた事から考えても、やはり土田というのは土井の読み間違えではないかと思われるのだが……調べた資料の中にも土田と言う苗字を持つ、当時の幕府の実力者の記述は無かったですね。

ついでに寺社奉行の阿部様と言う人物について少々……
天保11年(1840年)寺社奉行になった阿部正弘と言う人物で、水野忠邦が二度目に老中の座から退いた後(天保15年)に老中首座につき、安政2年(1855年)まで幕府の舵取りをした人物であり、かなり優秀かつ有能な人物と言える人です。

★ 二連銃

今回のラストで、赤井が清吉を狙い撃った(らしい?)銃なのですが、形状から見ると二連発で、発射システムは懐中から取り出してすぐに発射した点から見て、火縄方式ではなくホイールロック式かフリントロック方式の火打石を使用して、火薬に着火させて弾丸を発射させるタイプの銃のようです。
輸入品か国産品かは不明ですが、こんな貴重品と言える銃を赤井が所持していたのは、少々驚き!
なにせ、この時代の一般的な銃は火縄銃ですし、武士だからといって気軽に所持できる物でもないし、かなり高価な品物な上に禁制品です。
案外と仕事上で没収していたのを、上の方に報告せず懐に入れていたのかも知れません
(それとも青い獣の女が、作ったのか?)

ネタとして、もう一項目考えていたんですが、流石に項目が多くなり過ぎるので、それは次回の更新時にと言う事に……

と言う事で、今日はこれにて!

2007年07月31日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾七

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾七

と言う事で『大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾七』でございます。
本編の方は、シリアスな展開が続いておりますが、そこら辺の解説は他の方々のHPやブログにお任せすると言う事で、気になったというか舞台となっている時代の事などを今回も少々……

★ 短針銃

さて鳥居耀蔵と赤井西之介が今回使用した短針銃(ニードルガン)、はたしてこの時代に、その様な物が存在したかと言えば……存在していてもおかしくないと言う所でしょうか?
それには、まず短針銃の構造から考えて行きたいと思います。
まず発射時に音が聞えなかった事、発射されたと思しい銃の形状から考えると、発射動力に使用されたのは火薬などの大音響を発生させる代物ではない事が確認できますし、弓矢や弩(ど・おおゆみ)などの、弦とかを使用した物とも違うようです。
これらの事から推察していけば、どのようなシステムによって短針を発射したのかが、自ずと出てきます。
以上の事や当時の技術レベルで考えられる発射方式から、今回使用された短針銃は一種の空気銃ではないかと推察されます。
実際にこの時代、実用的な空気銃は日本国内に存在しておりました。
鉄砲鍛冶の国友一貫斎(国友藤兵衛1778年〜1840年)が1819年に、オランダから伝わった玩具としての風砲(気砲)を元に、実用レベルの殺傷力を持つ物を完成させており、それから改良したとすれば、充分に納得できると考えられます。
ちなみに銃のような形状で、他に音が出ないシステムとして考えられる発射形式は、ゴムの伸縮性を利用しての発射機構と、バネの復元性を利用しての発射機構もありますが、ゴムは当時の日本には、ほとんど輸入されていなかった点で違いますでしょうし、強力なバネを製作する技術が当時の日本には無かった(正確にはバネに適した鉄を製作する技術がなかった……だからカラクリ仕掛けの動力には、鯨の髭を加工した物が使用されていました)事から考えると、やはり空気銃タイプの代物だと考えるのが、一番無難でしょう。
ついでながら、今回使用された短針には、生捕りを考慮して何がしかの薬品が塗られていた可能性が高いと思われます。
(だからこそ、第一発目のような火縄銃ではなく、射出式の短針銃が使用されたのでしょう……それと御府内で銃の発射は厳しく規制されていると言う面も関係有るかもしれません)

ついでに放送開始直後の一発目で、鳥居耀蔵が使用していた二連火縄銃は、無論の事ですが作中におけるオリジナルと思われまが、実際にこの時代、そんな代物が存在していたかと言えば……結構あったそうです。
当時の日本では、火縄方式から火打石を使用したホイールロック式、そしてさらに確実性の高いフリントロック方式へと、発射装置の進化こそありませんでしたが(なんで進化しなかったかのを書くと長くなるので省きますが、一言で言えば必要性が無かったからと言えるでしょう)連発機構自体は、火縄銃が伝来した直後からそれなりに考えられており、江戸時代を通じて、いろいろと試作とかはされていたようです。
(ただし、実用性と費用効果、及び必然性などから普及しなかったようです)
まあ実際には、銃砲・砲術家の家伝として一子相伝に伝わるというレベルで、少数が造られて存在していたと言うところでしょうか?
(実際に家宝と言うか、先祖代々の秘密と言う感じで、今に伝わっている連発火縄銃とかが、少数ですが存在してます)
だから鳥居耀蔵が使用している連発火縄銃も、あっても不思議ではない……と言うような代物なんでしょうね。

★かわらけ投げ

清吉が投げていた素焼きの皿ですが、これは「かわらけ投げ」と言う遊びの一種で、厄除け・願掛けなどする時に、高い場所から素焼きの酒杯や皿を投げるというのがあり、それが遊びへと変じていった代物のようです。
実際に、物を割ったりすると言うのはストレスの解消になるので、非常に良い憂さ晴らしになりますね。
それに素焼きの皿なので、割れた後も自然に土へと帰るので、非常にエコロジーな遊びとも言えるでしょう。
(でも投げる時は、周囲を確認してから投げるようにしましょう)


★ 変身

今回変身したおソラさん……最大の疑問点は、着ている服込みで変身していると言う事(笑
蒼い獣の女は、どうやら服のレベルまで変身していない様に見受けられますが、どの様なシステムで変身をしているのでしょうか?
単に獣形態から人形態(または逆)と言うような単純な変身システムではなく、変身時に周囲から必要とする物質を収得しつつ、それを再構成しながら変身し、その姿を保っているという感じなのでしょうか?
(キューティーハニーの空中元素固定装置のような代物か?)
ただ変身のイメージとしては「強殖装甲ガイバー」の獣化兵(ゾアノイド)、「バンパイア」に登場したバンパイア達……と言う感じで、多分に生物的なイメージを感じさせます。

★訪問者の方々

こうしてブログを曝しておりますと、検索サーチからキーになる言葉を探し出して、此処へといらっしゃる方が結構いるのですが、検索される項目を少し調べてみると……

一番多いのは、やはり「大江戸ロケット」関係で調べて来てくれている方が多いようで、はたして見に来てくれた御方のニーズに合致しているか、少々不安と言うか……『外してねぇか少し(と言うかだいぶ)このブログ?』……と言う感じがしないでもないですが、まあ見に来てしまったのが身の不幸と、諦めてください!(酷!

んで次に多いのが「任侠沈没」……二巻が8月に出るので、続きの観想書きますので、お楽しみにしていてください(笑

何はともあれ、今日はこれにて!

2007年07月24日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾六!

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾六

★江戸の男色!(衆道浪漫…笑)

と言う事で、今回のお題は……男色についてです!
いや、ちょうど面白い資料が見つかったので趣味に走ります。(笑

元々日本に置いて男色は、少なくとも江戸時代の頃……と言うよりは、明治を過ぎて大正から昭和初期……第二次世界大戦後辺りまでは、それほど禁忌とされていませんでした。
ここら辺は、宗教的・法律的に禁忌と定めていた当時の西洋諸国(キリスト教圏)や、中東近辺の諸国(イスラム・ユダヤ教圏)とは、だいぶ違っております。
(俗に言う所の「アブラハムの宗教(キリスト・イスラム・ユダヤの各教派を指す)」は、その戒律として同性愛を否定している場合が多い事とも関係がある……ただし中東と言うかアラブに置いては、男色は近年まで結構盛んだったようだ。映画「アラビアのロレンス」で何となく匂わせる雰囲気があったのが記憶にありますね)
話を日本に戻すと、古くは平安時代の記録にも同性愛の事が書かれている文献があり、性愛の一つの形態として日本では、古くから肯定されていたのは確かなようです。
ただ面白い点で言えば、海外における同性のカップリングの大半は、同年代同士の結びつきを基本として構成されている場合が多く、友情(または戦友愛)の進化形態の一つとして、純粋と言うか至高の恋愛感情の結果として同性愛に到ると言うパターンが、建前としても多かったようです。
(以前にも書きましたが、軍事国家スパルタにおける強い戦友愛で結ばれた【それ以外の部分でもしっかりと結ばれているようだが】不敗の軍団として名声を誇った同性愛者の部隊や、古代ギリシアにおいてテーバイの「神聖隊」と呼ばれ、勇名を馳せた同性愛者の部隊だとかが良い例でしょう)
日本に置いても当初は、その様な同年代同士の男色カップルが多かったようですが(戦国時代などの荒々しい時代には、非常に多かったと記録されている)戦乱が収まり、平和な時代となった江戸期に置いては、その男色の様相と言うか嗜好に少々変化が起こり始めました。
どの様な変化かと言うと、全体的に美少年ブームとでも言うのか、年少と言うかまだ少年と言ってよい年齢の男子に、女性の姿(女性の衣装などを着せて)をさせた上で、性交に到ると言う事例が多くなってきました。
この変化の先鞭をつけたのは、女犯を禁じられていた僧侶が、稚児(男の子)や見目麗しい小坊主等を性愛の対象として自分の寺に入れ、欲望を処理させていたという事実があり、ここら辺から広がって行ったのではないかとも言われてます。
また武士階級に置いても……
『女と交わり子を為すのは家を存続させるための義務、男と交わるのは我の楽しみなり……』
と言う意味の事が、言われていたりします。
まあ、男色と言う行為が粋と言うか嗜みとして見ら、公認された状態であったと言えるでしょう。

そんな感じで、風俗の変化と言うか少年愛を中心とした多様性によって、江戸時代中期に置いては一種のブームとも言うべきほどに、年少の少年を対象とした男色文化が日本全土(と言っても、都市部に置いてのみの話ですが)広がりました。
実際に「大江戸ロケット」に登場しています平賀源内が、実際に生きて活躍をしていた宝暦から安永(西暦1750〜1781年)にかけては、ちょうどそんな時代の真っ最中で、平賀源内自身も男色家(両刀使いとの説もあり)だったそうです。
(だから駿平君のお尻がとってもデンジャラス!)
ただし、それらの男色文化も江戸時代後期となりますと衰退し始め、「大江戸ロケット」の舞台となっている天保期には、すっかり下火となっており、かろうじてと言う感じで浮世絵画家である渓斉英泉(けいさい えいせん)の手による『閨中紀聞・枕文庫』の中の一部に「頑童買之図(かげまかいのず)」と言う一枚が、天保三年頃に出版されたくらいとなり、続く天保の改革により、辛うじて残っていた男娼関係の施設も、廃絶される事となり、江戸における一般的な(商業・商売として)男色文化は途絶えてしまったようです。
(とはいえ町人や一部の武士等に置いては、まだまだ男色の文化は粋なものとして、結構残されていたと言う説もございますが)

ちなみに一度途絶えた形となった江戸の男色文化ですが、明治維新後に江戸のやって来た薩摩や長州などと言った人々が持ち込んだ、別種の男色文化によって復活し、それらを吸収しながら新たな男色文化を、明治時代から作り上げたそうです……笑

と言うのが、「大江戸ロケット」の時代における男色文化一般だったりします。
もっと詳しく知りたい方が降りましたら、参考にしました本を読んでいただければ、さらに興味深い事が解るのではと想います。

参考文献〜「江戸の男色」 洋泉社 著・白倉敬彦


★どらやき

八丁堀こと赤井西之介が食べていたドラ焼き(蒼の獣の女が作ったのか?)なんですが、今の形(と言うかTVで作られていた形)として、出されるようになったのは、意外と最近の事で大正3年(1914年)創業の上野の和菓子屋「うさぎや」にて考案され(何時頃考案されたかは不明ですが、創業開始前後の時期らしい)全国に広まったのが最初と言われてます。
(それ以前に、似た様な菓子はあったが形状が著しく違っているので、今回のとは別物でしょう)
ちなみにこの時代(天保年間)の少し前辺りから砂糖(サトウキビを原料にした黒砂糖の類は以前よりあったが、ここでは製糖した和三盆と呼ばれる白糖の事を指します)が全国的に普及し始めた時期でもあり、元々甘味の強い食材が好まれていた江戸方面では、いろいろな駄菓子的な菓子類が考えられ、売られるようになったようです。
(ただし本格的な上菓子と呼ばれる代物は、京都近辺の関西が本場と言うか中心であり、江戸で作られるその手の菓子類は、同じ上菓子と云えども格の一段低い存在とされておりました……俗に言う「下り物は上物」と言うことですね)
この様に江戸の人間が、関西方面に比べて味の濃い物を好む傾向が強いのは、昔も今も変わらずと言う事でしょうか?
ついでに砂糖(黒砂糖を含む)が普及する以前は、甘茶蔓の絞り汁、麦芽糖、蜂蜜、果糖……などが、甘味料と使用されていたようです。


★女の生首

金さんの彫物ですが、明治時代になって書かれた文章の中に……
『背中に女の生首の彫物があった……』
と言う同僚の言葉が残されているのですが、これはまあ……本当とは思えないですね。
と言いつつも「こちら葛飾区亀有公園前派出所」に登場するヤクザの親分に……

jkh1.JPG

こんな感じで『アルプスの少女ハイジ』の生首(以前に登場した時はアラレちゃんだったが)を刺青をしている奴がいるので、それを考えれば可能性はゼロではないかも知れないな……
(関連性が無いな……)

jkh2.JPG

ついでに腹の方は『魔法使いサリー』のサリーちゃんとよしこちゃんだったりする……
(サニーじゃないのが、まだ救いか?)

と言う事で、今日はこれにて!


2007年07月17日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾五!

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾五!

と言う事で回を重ねて「大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾五!」でございます。
我ながら、よく書くネタが続くな〜
それだけ「大江戸ロケット」と言う作品に魅力があるということかな?

★暦

番組の冒頭で、天保14年の暦をと言うか出来事を説明しておりましたが、それに関連してと言う事で、この時代に使用されていた暦について少々……

世界で使用されている暦を大雑把に分けると、月の満ち欠けを基本した暦である「太陰暦」(1年=12ヶ月=354日+αで計算)と地球が太陽の周りを一周する期間を基本にした太陽暦(1年=12カ月=356日+αで計算)の二種るあるのですが、江戸時代の日本で使用されていた暦は、太陰太陽暦(基本となるのは太陰暦)の暦法である所の和暦が使用されていました。
んでこの和暦なのですが、使っていると太陽暦との間に日にちの差が出てきて(大体で三年で一ヶ月くらい違ってくる)日常生活に不便が生じてきます。
それを修正するために考え出されたのが閏月であり、3年に一度の割合で本来12回である月数を一つ増やして、暦と季節の帳尻を合わせました。
ただ単純に一月増やせばいいという物でもなく、如何に違和感なく月数を増やすかに暦を発行する幕府の天文方は頭を悩ませたとか?
ついでに増やす方式は、同じ月を二回繰り返すと言う方式で、二度目の同月を通常「閏月の〇月」と言う具合に言ってました。
と言う事で今回の……
『閏月の9月……』
と言う事は、天保14年の二回目の9月と言うだったりします。
(ちなみにこの時使用されていた和暦は「宝暦暦」と言うもので、寛政十年(1798年)に製作された和暦です)

余談ながら、この暦の作成に置いて一番重要と言うか、必要とされたのは算学の知識であり、儒学・国学がメインとされていた幕府に置いて、数少ない算学者が活躍できる部署(他に測量方と言う部署もあった)でもあり、往々にして市井の庶民である算学者が、必要とされ幕府に登用されると言う事があったとか……
意外と駿平や源蔵が、登用される……と言う展開が、後日談的な話としてある知れません

ついでにもう一つ余談、日本に置いて和暦(太陰太陽暦)の歴史は、天保15年(1844年)に製作され、明治5年まで使用された天保暦で終わるのですが、何で和暦(太陰太陽暦)から現在使用されているグレゴリオ暦(太陽暦)に変わったかと言えば、諸外国が使用している暦に合わせたと言う面が強いのですが、それ以外に明治5年は和暦(太陰太陽暦)の閏月がある年で、月給制を取り入れていた時の明治政府が……
『1年に13回月給払う予算が無いので、グレゴリオ暦(太陽暦)を導入したのは、給料を払う回数を12回に減らすため……』
と言う話があるんですが……本当かどうかは不明です。(笑

★ 竹トンボ

発明者は平賀源内と言う説がありますが、そこら辺の確証は不明です。
ちなみに劇中でチラリと話題が出たレオナルドダヴィンチが、設計したとされるヘリコプターの原型はこれ……

dh.JPG

プロペラにあたる部分が螺旋状に設計されており、現在の一般的なプロペラの形状と違ってますが、基本的な理論で言えば間違いではない設計です。
ただし実際に製作はされなかった(模型くらいは作られた可能性はありますが)と思われますし、劇中で駿平も言っていた通りに、これによって人力で空に舞い上がる事は不可能です。
それに細かい事を言えば、仮に今回の様に蒸気機関を使用して舞い上がったとしても、プロペラを回転させるローター(主軸)によって引き起こされる反作用として、ローターが機体を逆方向に回転させようとするモーメントが生じ(反トルク・カウンタートルク・トルク効果と呼ばれる現象)て、それを打ち消すシステムが必要となってきます。
(そのシステムとしては、幾つかありますので、調べてみると面白いですよ……いや、解説すると長くなるから…笑)
まあ今回は下の方に吊った形になった凧が、一種の安定装置となって……でも空飛んで来てるしな……そこら辺は笑って誤魔化せ!
(だいたい、あの大凧が空飛ぶ時点で……野暮は言わぬが華だ)

★生命維持装置

ロケット計画ですが、有人宇宙ロケットに置いて一番大事なシステムは何かといえば、宇宙船に乗っている人間を生かしておくシステムだったりします。
(「王立宇宙軍」でも同様の事を言っていましたが、ある意味一番削られる箇所とも言えます)
忘れていましたが「大江戸ロケット」において、ここら辺の事が見事に抜けておりますが……どうなるんだ?
ちなみにソ連とアメリカの有人ロケット計画に置いては、人を乗せて打ち上げる前に、犬やら猿やらを打ち上げて実験を繰り返しておりました。
(ソ連のスプートニク2号で打ち上げられた。地球から宇宙空間へ飛び出した世界最初の生命体である宇宙犬ライカ/クドリャフカが有名、当初は打ち上げ後、四日間生存した後に安楽死用【帰還システムは搭載されていなかった】の睡眠剤入りの毒餌によって薬殺されたとされていましたが、ソ連崩壊後の資料によって実際には、打ち上げ数時間後に、地上からモニターしていたセンサー類によって死亡が確認されたそうです……ちょっと哀しいです)
当初はともかく、後期に置いては如何にして打ち上げた動物達を、無事に生きたまま地上に帰還させるかが主題となり、実験に供された動物達の生存率は高まったそうです。
(まあ、地上に戻ってきた後に、影響を調べるためにいろいろと検査されて、その途中で亡くなったと言う例も、あるそうですが……)
まあ……おソラさんは、宇宙人なので大丈夫……かな?

と言う事で、今日はこれにて!

2007年07月10日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾四!

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾四!

と言う事で「大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾四!」でございます。

★弐百両

今回、蒼い獣が源蔵のお母さんに手渡そうとした弐百両と言う金額、これを現在の貨幣価値に換算すると、だいたいどれ位かと言うと……これが意外と難しい!
まずは天保13年における貨幣価値を簡単に書くと
『 金一両=銀60匁=金四分(銀四分)=金十六朱(銀十六朱)=銭6500文 』
となってます。
庶民の生活の基本となる貨幣は、主に銭である文を中心に流通されていたようです。
んで問題は、何を基本として現在の物価と対比させるかで……対比させる品によってかなり、一両の価値に変化が出来ます。
例えば米を基本にして計算すれば……
1石(150kg)で約2両前後でしたので、現在の標準米の価格(10kgで3600円)で算出すると54000円になりますが、なんかしっくりきません
そこで、自分の好きな蕎麦の値段で換算すると……
屋台の夜鳴き蕎麦が当時の価格で、かけそばが一杯・16文でしたので、現在の立ち食い蕎麦の値段(駅の立ち食い蕎麦で、一杯300円くらいです)で算出すると約122000円になります。
個人的は、こちらの値段の方が近いのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
蕎麦で計算した貨幣価値で換算するとしたら……
1両=122000円×200=2440万円
二百両=2440万円
と言う計算になります。
雰囲気的にも、これ位の価値ではなかったかと自分は思うのですが、皆様はどうでしたでしょうか?
ちなみに小判は、25両(50両の場合もあり)を一纏めにして紙などで包まれて保管されている場合(切餅と呼ばれてたそうです)その包んでいる紙には、それを包んだ金座や両替商などの刻印が描かれた上で、厳重に封印が施されていたそうで、店の格や信用のバロメーターとしても使われていたそうです。
しかし、目の前にそれだけの大金をポン!と出されながら、それを跳ね除ける事が出来た源蔵のお母さん!
彼方は本当に凄い人だ。源蔵さんは良い母親の元に育ったんですね。

★大晦日

大晦日の払いで大騒ぎの長屋の人々ですが、ここら辺は古典落語の世界そのままと言う感じです。
んで実際はどうであったかと言えば、掛け払いの支払い形式は、基本的に年末(大晦日)ではなくて、月末(晦日)が基本でしたので、支払いは年末だけ……と言う事はありませんでした。
ありませんでしたが、どうしても繰越が残ったり溜まったりするので、年末はそれらの掛け取りと、それらから逃げようとする掛け払いの連中達の騒動は、それなりにあったそうですが……
それでも阿吽の呼吸で、それなりの落とし所を弁えて双方が、掛け取りと掛け払いのけじめを着けてはいたようです。
なんせ、あんまりにも支払いが悪ければ、次からは掛け払いで品物を売ってもらえなくなりますからね。
(それでも二進も三進も行かなくなった人達が、大晦日の前の晩に夜逃げする…なんて話は結構あったそうです)
ちなみに餅は、大晦日当日に突くのは縁起が悪いと嫌われており、大晦日の前日に大家(または家主)がスポンサーとなって、長屋の皆と共同で餅つきをする場合が多かったそうです。
(ちなみにこの時に提供される餅代の代金は、第10発目で紹介されたように、長屋の皆から集めたウンコを、近在の農家に売却して得た収入から出ていたそうですが、餅代と言う名目で現金による支給の場合もあったとか)

★ 宇宙人

え〜大江戸ロケットのヒロインである所の、おソラさんと蒼い獣(名前募集中)さんなのですが、この二人の正体はネタバレになりますが、宇宙人さんだったりします。
(知ってかな?)
銀さん辺りは、比較的あっさりとそれを受容れておりますが、この時代の江戸(と言うか日本)に置いて、実際に宇宙人と言う存在を知っていた人が居るかと言うと……居ました!
残念ながら江戸の人間ではないのですが、大阪の町人学者山片蟠桃【 やまがたばんとう】(生・1748年〜没・1821年)と言う人物が、当時オランダから輸入されたニュートン力学の入門書の日本語翻訳版を入手して、その当時でも最新であるニュートン力学を理解したのみならず、西洋的な科学合理主義を発展させていった結果として、宇宙人存在の可能性を指摘しております。
この人物、かなり科学主義者のようでして、地動説をその合理性ゆえに指示しており、同時に神仏を否定していたりもします。
当時の日本に置いて……と言うよりも、世界的に稀有な合理的精神を持っていた人物のようですが、残念ながら当時の日本は鎖国状態であり、そのいろんな意味での可能性を日本国外で発揮する事は無論出来ず、結果として大阪の町人学者として一生を終える事になるのですが、歴史の中に埋没してしまったような感じで非常に残念な人物です。

と言う事で、今日はこれにて!

2007年07月03日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾参

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾参

と言う事で『大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾参』でございます。
今回は、小ネタ的な話を中心に少々……

★ 空の獣

今回、町娘を襲っていました空の獣さん(蒼い方)ですが、その当初には異国から来た獣と長屋の人達に噂をされていましたが、実際にこの時代は、外国より輸入された動物達が、江戸の町で結構見世物とされていた事例があります。
例を挙げるなら……象(インドゾウ)に駱駝(ヒトコブラクダとフタコブラクダ)に麒麟、虎や豹、ゼンザコウにオオトカゲ、クジャクや綿羊、ヤマアラシにワニ、白熊(ホッキョクグマ?かアルビノの羆?)オランウータン、ライオンにダチョウ……と言った結構な数と種類の動物達が輸入(一部密輸)されて、見世物として供されていたと言う記録が残されております。(記録に残っていない輸入動物も多かったと思われます)
そこら辺から、外国からやって来た獣と言う事で納得していたのかも知れません
しかしこうして見ると、空の獣ってのは密かにメキシコ辺りから密輸入された……巨大チュカパブラ?(笑

★癪の病

癪の病だと言って今回長屋の潜入した黒衣衆達なんですが、この癪の病という奴……胸部あるいは上腹部に突如強い痛みが走る病い(心臓発作?胃痙攣?)で,江戸時代には「男の疝気、女の癪」と言われいた事からも解る様に、女性の病気だとされていましたので、この場合は疝気の病……とした方が良かったかも?
症状は癪と似たようなもんですが、基本的には腹部の痛みが強く、蕎麦が原因とされていたりしました。
なおこれらの病の原因として考えられるのは、「脚気」(別名・江戸患い)の諸症状と類似点がある事から考えて、「脚気」の初期症状(心臓機能の低下・不全(衝心(しょうしん))を併発する事が多い)ではないかと考えられる。
(無論の事、それ以外の病も原因になりうるのですが……)

★ 須藤由蔵(スドウ・ユゾウ)

さてこの時代、江戸の町には面白い人物が沢山おりました。
(前々回に登場した佐藤信淵なんかもそうですね)
そんな中で、話に係わって来るか不明ですが、秋葉原に住んでいた人物で須藤由蔵(寛政5年(1793年)〜 没年不詳(明治時代初期頃?))という人物がおります。
この人物、表向きは現在の秋葉原周辺の路上に筵を敷き、露天で古書店(貸本屋とも)をしていたそうですが、実際には江戸市中の事件や噂、落書などの記録に精を出し、それらの情報を売り買いして生計を立てていたとか……
案外と清吉達のロケットの噂だとか、黒衣衆達が追いかけて居る空の獣……それらの事件も記録していたかも知れません、そう考えると何か面白いと感じないでしょうか?

★ アルミニウム

アルミニウムが発見されたのは、1807年(当時の日本の暦で言うなら文化4年になります)に英国のハンフリー・デービー(1778〜1829)が発見し、生成に成功しておりますので、蒼の獣が言ったように、決して当時に存在しない物質ではなかった筈です。
(まあ工業的に量産出来るようになったのは、更に後年の事になりますし、確かに当時の日本には存在していなかったのも確かでしょう)
んで、このアルミニウムの特性として、一応金属に分類されているのですが、粉末になったアルミニウムは可燃物であり、よく萌え……いえ、よく燃えまして、粉塵爆発を起こす場合がありほどだったりします。
そんなアルミニウムの特性を利用して、各種火薬の燃焼速度を上げる為の発熱剤(助燃材)として添加される場合が多く、実際に固形燃料タイプの打ち上げロケットにも使用されております。
(燃焼速度を上げ、より大きな推力を得る為の手段として合成ゴムなどと混ぜ合わせ使用している……それ+酸化剤を混入させたのが、ロケット燃料となる)
ついでながらアルミニウムを原材料であるボーキサイトから精製する方法として、電気分解を利用しての精製方が使われているのですが……源内のエレキテルで精製可能かは不明
(常識的に考えれば無理でしょうが)

★ 天保13年

大江戸ロケットとは、全然関係ないけど先日読んだ本……「天動説」(角川書店 著・山田正紀)の世界では、この時期に江戸に置いてヴァムピールと呼ばれる吸血鬼が出没していたとか(笑
偶然とは言え、時代が勝ち合っていて面白い、他にも「天保からくり船」(光風社出版 著・山田正紀)と言う作品も、江戸時代(天保時代)と言う場所を題材にしており、非常に面白く興味深いです。
機会があれば、御一読を勧めさせて頂きます。

と言う事で、今日はこれにて!

2007年06月26日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾弐

★大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾弐

と言う事で「大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾弐」でございます。
今回は、駿平君が主役の回のお話ですが……そこら辺は他の人がブログに書くでしょうから、ちょいと横に置いておきます。
(いや、個人的に駿平君は好きなんですよ、眼鏡だし、可愛いし……思わず陰間茶屋に引き込んで……ゲフゲフ!)

★打ち上げ

さて冒頭で迷走するロケットが描かれておりますが、やはりロケットを正確に打ち上げるとすれば、ロケットの姿勢を制御するジャイロコンパス【和風に言うなら・転輪羅針儀(てんりんらしんぎ)】に連動した姿勢制御装置が必要になります。
(初期のロケットに置いて、問題点の一つとして挙げられるのは、まずロケットをまっすぐと言うか垂直に打ち上げる事だったりします)
ジャイロコンパス自体は、コマの回転特性を利用して製作されておりますので、この当時の技術でも製作可能でしょう……多分ね。
(外国に置いては外洋を航海する為の必需品として、方向を正確に把握するジャイロ装置が普及していましたが、当時の日本では沿岸沿いに船を動かす場合がほとんどであった事もあり、この手の装置は普及しておりませんでした……ただし原理や構造は、かなり把握されていたと思われ、文献などにも残されています)

★鳥居耀蔵と遠山金四郎

ここ何回か大活躍しております遊び人の金さんこと、遠山金四郎景元(とおやま・きんしろう・かげもと)なのですが、十発目の最後で自分も言っておりますが、天保13年における彼の年齢は……50歳となる計算です。
が!アニメの中に置いては、どう見ても30歳前後にしか見えないのは、深く考えるな!
でしょうか?
(そう言えば小説家で…「心はいつも17歳」と言う方がいますが、それと同じと言う事で…金さんは永遠の遊び人…と言う事なんでしょう。うん!納得!)
ちなみに有名な桜吹雪の彫物ですが、実際は少しだけと言うか中途半端(二の腕の辺りに少々)な状態だったそうです。
(だいたい武士が身体に彫物を入れる事は、当時幕府から禁じられていました)
ついでながら彼には持病がありまして、どんな持病かと言うと……文字通りの「痔病」だったそうです。

そんな金さんの政敵として登場している鳥居耀蔵ですが、彼が町人に対して容赦の無い(と言うよりは必要以上に)取締りをした背景には、生まれと言うか生活環境によって育まれた性癖によるものが、多分にあると言われております。
すなわち鳥居耀蔵は、幼少期から武家社会の中でのみ成長し、その後も江戸城内部の力関係によって出世して行った事により、武家社会のみが世界の全てであり、一般庶民達は支配すべき者達であり、常に支配者としての視点でしか見ておらず、その様な者達が自分よりも有能であると言う事実は、認める事が出来ない面があったと言えます。
その結果が、当時知識階級であった蘭学者達を弾圧した「蛮社の獄」であり、支配者である自分の力を庶民に見せ付ける為の、締め付け強化へと繋がったと言えるんではないでしょうか?
一方の遠山金四郎は、家庭の事情によって一時町屋で放蕩生活を送るなどをして、庶民の生活を知る機会があった事により、江戸と言う町を武士の視点ではなく庶民の視点で見ることが出来、その結果として武士階級(支配者)としての町奉行ではなく、庶民の代弁者と言う立場を取る町奉行として行動できたと言えます。
(とは言え、正面から幕府の政策(天保の改革とか)に反対できる立場でもなく、その行動は根本的な最善策を取る事よりも、抜け道を探して実行する次善の策【芝居小屋の浅草への移転とか】に、ならざる得なかったのは仕方がない事かもしれません)
なんにしろ、この時代……正反対の立場を取る二人の奉行が、同時に存在したと言う事によって、両者ともに極端な見方をされていたと言えるでしょう。

★天麩羅

前回犠牲者になりました天麩羅の屋台売りの人ですが、この時代は結構外食産業が発達しており、この手の簡単かつ気軽に食べられる食い物屋の屋台が非常に多かったそうです。
また、その場で簡単に食べる事を前提にされていたので、今回の天麩羅のように、食べる時に油で手が汚れない様にと、櫛に刺して売るなどの工夫がなされ、売られておりました。
ちなみに値段は、一串で四〜八文(天麩羅の種類によって違う)で、江戸前で獲れた海老、キス、ハゼ等の魚介類やサツマイモ、南瓜、レンコン、その他の野菜掻揚げ等が売られていたそうです。

と言う事で、今日はこれにて!

2007年06月19日

大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾壱

★大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾壱

と言う事で、大江戸ロケットの時代!〜其の壱拾壱でございます。
今回は作中に出てきました自走火船の発明者である佐藤信淵について少し……

佐藤信淵とは、どのような人物であったかと言うと……明和6年(1769年)に生まれ、嘉永3年1月6日に亡くなった。江戸時代後期に活躍した農学者・兵学者・経世家・農政家・思想家……かなり多岐に渡って活動した人物であり、知識人グループによって構成されていた「尚歯会」のメンバーでもありました。
ただ結構過激な人で、何度も「江戸所払い」を喰らっていたりして、天保十年に当時目付けであった鳥居洋蔵が中心となった蘭学研究者の弾圧事件(俗に言う「蛮社の獄」)によって江戸から追われています。
(もっとも、元々「江戸所払い」の身ではあったのだから、基本的に江戸に居られる身分ではないのですが……)
ちなみに作中で語られている「自走火船」は、一種の兵器であって佐藤信淵が文化六年(1809年)に出版した「自走火船三枚図説」において発表したもので、その文中にて……
『流星と呼ばれる物の火薬を使用して、船を走らせる……云々かんぬん……』
と言う事が書かれております。
ただし出版された「自走火船三枚図説」には、それらしい自走火船の完成図と、活躍している図と、その用兵方法などが書かれているだけで、基本となる自走火船の製作設計図だとか内部構造は一切書かれて降りません!
詰まる所、幻の超兵器と言うか、僕が考えた未来兵器と言う所であって、アイディアだけだったりします。
ちなみに今回「大江戸ロケット」作中で紹介された図は、これですが

sa3.JPG

「自走火船三枚図説」には、こんな風に描かれていたりします……

sa1.JPG

sa2.JPG

基本として小船型×4(8人載り)、中船型×2(12人乗り)、大船型×1(20人乗り)の三種類合計7隻の自走火船(ちなみに制作費が小型〜30両、中型〜50両、大型〜100両と試算されており、変なとこが細かかったりする)の連携によって、敵船に近寄り火炎放射をして敵船を焼き払う……と言うのが基本戦法で、なかなかに勇ましいですが、全て想像図だけの話です。
(多分に中国の兵法書からヒントを得た部分が非常に多いようです)
ついでに後年(弘化四年〜1847年)着色され、浮世絵として再販されたそうで、当時の世相を反映して結構売れたとか?

余談ながら大江戸ロケットの舞台となっている天保十三年当時、佐藤信淵は江戸の裏長屋に人目を忍んで在住しており、もしかしたら清吉や鉄十、おりく達の疾走劇を見ていたかも知れません、そして一言叫んでいたかも……
「俺が考えたアイディアのパクリだぁぁ―――!!」
だなんて(笑
少なくとも、そう考えると何となく楽しくなります。

★ンコ

清吉達が偽装の為にと今回運んでいたンコなのですが、この時代に置いてンコは廃棄物ではなくて、貴重な資源として活用されており、江戸近隣の農家が代価を支払ったうえで、それぞれの家庭から汲み取って下肥(最高級有機肥料…筒井康隆の小説ではないけど)として利用してました。
一般の商家や武家屋敷などの場合は、その家の主人等へ、長屋などの共同便所では家主(または大家)へと代価(大概は現金ではなく、作られた野菜類か加工品【漬物・味噌】での物品によって支払われていた)が支払われており、その代りに商家や武家では使用人に大晦日に小遣いを与え、長屋の家主(または大家)等も同様に大晦日に餅などを配ったそうです。
ちなみに個人で勝手に汲み取るのは、トラブルの元になるので基本的に厳禁だったそうで、江戸初期はともかく、江戸時代中期くらいには、権利団体と言うか汲み取りの組織組合が作られて、かなり厳格な取り決めの元に汲み取りが行われていたそうで、実際に幕府からの許可が無ければ、勝手に汲み取りとかは出来なかったそうです。
(ちなみに江戸城などに出入り出来る数少ない町人が、江戸城にンコを汲み取る業者だったりするのは有名な話です)
だから今回の清吉達の行動は、ちょいと不味い事かも知れませんね。
ついでながら、この汲み取り料なのですが、町人達に支払う礼金の額よりも、武士階級の家から汲み取った時の礼金の方が少し多かったそうです。
これは、武士階級の人間が良い食事を取っているので、良質の下肥として利用されていたからだとか……

と言う事で今日はこれにて!

参考文献
「炎の塔 佐藤信淵」
「図説江戸シリーズ」






2007年06月12日

大江戸ロケットの時代!〜其の十

★大江戸ロケットの時代!〜其の十

と言う事で「大江戸ロケットの時代!〜其の十」でございます。
今回は隅の御隠居の正体である平賀源内の事などについて少し……

平賀源内……詳しい経歴と言うか生涯は、リンクしたウィキペディア(Wikipedia)を見てもらうとして、それ以外の事を少々……(笑

平賀源内と言う人物、今でこそ何でもありの博物学者と言う認識がありますが、江戸時代・明治・大正期においては、戯曲作家・文学者としての評価が一番大きかったようで、実際に「平賀源内全集」などが明治・大正時代に複数の出版社より発売され、好評を得ていたようです。
特に風来山人のペンネームで書上げた「風流志道軒伝」(宝暦13年〈1763年〉発行)は当時としては異例の大ヒットとなる三千部(海賊版などを含めれば倍以上とも言われる)を売り上げ、明治時代に到るまで重版がかさねられ、「大江戸ロケット」の舞台となっている天保年間に置いてもかなりメジャーな物語として広く読まれており、平賀源内の名前を庶民レベルで浸透させていたと思われます。

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ちなみに「風流志道軒伝」の内容はイギリスの風刺作家ジョナサン・スウィフトが書いた「ガリヴァー旅行記」(1735年発刊)に酷似している点が指摘されており、源内が長崎留学時に後年「風流志道軒伝」を書く上で、何らかのヒントを得ていた可能性は、否定でき無いと言う話があります。
(事実ガリバー旅行記・第三篇の題名は「 ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記」となっており、日本を舞台にした話が書かれており、唯一西洋で日本と繋がりのあったオランダの事にも触れられており、当然の事ながらオランダ語にも翻訳され出版されていました。長崎の出島に滞在したオランダ人がその本の所持を含め、物語を知っていた可能性は非常に高く、オランダ語を読めないと言うか理解できなかった平賀源内なのですが、長崎の通詞達を通しての又聞きと言う形で、ガリヴァー旅行記に触れていた可能性は否定しきれないと思います)

発明家と言うか、科学者・博物学者としての平賀源内がメジャーになったのは、終戦後の昭和30年代前後辺りからで、その当時にかなりの種類の読み物が大人向け・子供向けを問わずに出版されました。

んで、その当時出た子供向けの伝記読物がこれだったりします。

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その後、10〜15年おき位に平賀源内は小ブームを引き起こし、いろいろな作家さん達の手によって平賀源内と言う人物の事が書かれていき、そして当然のように漫画とかにも登場してまいりますが、ここで面白いというか、各漫画家達が平賀源内を描く上で、元にした肖像画の大部分は、こちらの肖像画だったりします。

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そして描かれたのが、こんな感じの平賀源内たち……

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(石森章太郎〜ビジュアル日本の歴史)

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(みなもと太郎〜風雲児たち)

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(ムロタニ・ツネ象〜学研漫画 平賀源内)

実際には、これ以外にも平賀源内は数点の肖像画を残していま
す。

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それがこれ……メジャーな奴に比べると、かなり疲れたと言うか……小太りでがっしりとした感じに書かれており、同一人物にはとても思われませんが、上の方の肖像画は比較的初期に描かれたものであり、下の方の肖像画は比較的晩年の生活に疲れ始めた頃のものと考えられており、それらを考慮すれば何となく納得出来るかも知れませんね。
ちなみにこの、あまりに違う肖像画からヒントを得て漫画家の星野之宣先生が短編『鎖の国』と言う作品を描き、その中で科学者(山師)としての平賀源内、戯作者としての平賀源内と言う二人の平賀源内が存在したという源内二人説を展開しており、非常に興味深い作品に仕上がっています。

ついでに面白い所では、松本零士が「明日から来た影 GENNAI」と言う平賀源内の伝記漫画を描いているのですが……さすが松本零士!
と言う感じで、こんなんだったりします。

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どう見てもモデルを無視して、自己流のキャラクターにしたのも凄いのですが、平賀源内とエレキテルとの出会いのシーンがオリジナルで、サービスたっぷりのシーンとして描かれています。
(実際はこんな事無かった筈だと思いますが…)

さて「本草学者」「博物学者」「画家」「山師」「戯曲作家」……様々な分野で活躍した平賀源内ですが、逆にその何でもできる(何でも自分でしてしまうと言う気質?)と言う事が、時代的な不幸もあり、彼の晩年を不幸なものとしてしまいます。


様々な才能を示した平賀源内なのですが、その最後は悲劇的で、時代に早すぎた男の哀しみと言う事なのかも知れません、山師としての事業の失敗が続いた上に、ようやくに完成(と言うか復元)したエレキテルもキワモノ扱いの見世物としか見てもらえず(とは言え、大衆が喜ぶ見世物として公開したのは平賀源内自身だったのですが)書上げた新作の戯曲も、初期の大衆的な面白さが減じて、鬱積した不満からか、当時の幕府体制に対する皮肉を強く押し出したせいもあり、人気が急落し始める始末と、晩年は不幸であり、それ故に人間不信へと陥って行ったようです。
そして永7年(1778年)11月21日に、二人を殺傷して入牢、同年12月18日に牢内で死亡……
(ちなみに殺傷したしまった相手については、資料によって……共同事業をしようとしていた大工、源内の門弟、愛人(男娼)をめぐる恋敵……等と、色々と書かれており逆に不明だったりしますし、牢内での死亡原因も……破傷風によって病死、罪を恥じて断食による衰弱死、肺炎による病死……同様に様々な事を言われています)
もっとも牢内での死亡は偽装で、当時懇意にしていた老中の田沼意次に保護され、天寿を全うした……と言う噂もあったりします。
(田沼意次が藩主を勤めた相良藩には、平賀源内が伝えたと言う凧があるそうです)

余談になるのですが平賀源内さん、かなりの男好きと言うか、ソチラ方面の趣味の人でした……こうなると駿平の尻の穴が危険だ!(笑

んで大江戸ロケットの御隠居……正体が上記の平賀源内だそうですが、幾らなんでもな〜生きていたらこの時代で…114歳だよ……無理がある上に、平賀源内が身に着けた学問は蘭学(広い意味で、当時の海外技術)であり、人を猫に変える装置は……無理だ(笑

と言う事で、大江戸ロケットの御隠居の正体を推測すると、思い出すのは五発目「論(ろん)」にて、鉄十が言っていた過去に落ちて来たかぐや姫……そこら辺に関係があるような気がする。
(早い話が、ソラと同じ様に天から落ちて来た宇宙人と言う事だが、男だからな御隠居)
そんな超科学技術の持主なら、人を猫に変えるくらい簡単な事かも知れない……
ついでに考えれば、逆に獣を人に変える事も可能かもしれない……御隠居ガールズ達、何となく頭に挿している櫛(元ネタは源内櫛か?)で表現されている動物たち(キツネ、タヌキ、カメ、アヒル……)が、人間に返信した姿なのかも、そして主要キャラクターのおぬいちゃん、番犬小町と言う事は、正体は犬なんだろうか?

なんにしろ、そこら辺の謎は今後の展開で明らかにされて行くのではないだろうかと、密かに期待しております。

参考文献
学習漫画 平賀源内 学研
「日本歴史ビジュアル」 石森章太郎 
「風雲児たち」 みなもと太郎
「平賀源内全集」 
「世界の伝記 平賀源内」
「明日から来た影 GENNAI」 松本零士
「子供伝記シリーズ 平賀源内」
 其の他・・・・・・・

と言う事で今日はこれにて!

2007年06月05日

大江戸ロケットの時代!〜其の九

★大江戸ロケットの時代!〜其の九

と言う事で、大江戸ロケットの時代!〜其の九でございます。

今回は、ある意味大活躍しております八丁堀こと、赤井西之介が勤めている同心という役職について少々……

天保年間における江戸の総人口は、約110万人前後で、そのうち町奉行が管轄していた町人の人口は約59万人と言う統計が残っています。
そして、その59万人の町人達の治安を取り締まるのが、北と南の両奉行所に所属する与力と同心でした。
その人数は、与力が50名に同心が240名(北と南の両奉行所の合計ですので、実質は半分と言う事になります)それに見習いの与力と同心が十数名程度(時期により多少の変動はあったようですが)……
さらにこれらの同心のうち、外回りを担当する事になる三同心(隠密廻り、定廻り、臨時廻り)の人数は、一つの奉行所あたり12〜15名程度……
(ちなみに現在の警視庁に所属する警察官の人数は、42,301人となっております。まあ今と昔では、人口や取り締まる範囲とかも違うのでしょうが)
はっきり言って人数少なすぎ!…なんですが、それで何とかなっていたのは、当時の江戸の治安が高いレベルで保たれていたと言う事なのかも知れませんが、やはり手が足りないのは仕方がなく、同心は自費により手下となる者達を数人雇って(これは非公認で一応禁止されていた)ある種の特権を与える事によって、捜査とかの手伝いをさせていたようです。
(俗に意言う岡引とか言う奴ですね)

んで赤井西之介が勤める隠密廻同心なのですが、町奉行直属の役人で捜査や捕物を行っており、同心の中では最高の地位と言えます。
任期は基本的に一代限りの一年継続で、年末に……
「来年も同心廻りを申し付ける…」
の言葉を奉行から頂いて、その翌年も同心の職を続けるというシステムだったそうです。
(とは言え、特殊技能を要する職業なので、実質的は親から子供へと、一つの家柄が代々同心を勤めるという場合が多かったそうですが)
ちなみに給金は「30俵二人扶」で、それほど高くは無かったそうですが、外回りの同心の場合、心付(賄賂と思っていいかな?)が何かと在ったので、生活は楽だったそうです。
(その割りに、外回りの同心である赤井が貧乏なのは、心付を受け取らない清廉潔白な同心であったと言う事かも知れない…)

★富くじ

金策の一環として今回登場した「富くじ」…一種の宝くじと思えば良いのですが、資料を調べると……
基本としては寺社仏閣の改築費用に当てられると言う建前の元に販売され、大変な人気を呼んだようで、賞金の最高額は、千両〜百両までと様々で、大当たりの他に中当たり、小当たりがあり、賞金の還元率は90〜60%前後だったそうです。
ちなみに人気を博した「富くじ」ですが、例の如く「天保の改革」に置いて規制・廃止されてしまいました。
(ただし密かに、小規模で開催されていたようですが…今回の話の影富も、そんな感じなのでしょう)
ちなみに富くじ一枚の値段は、天保の時期で約300文〜一朱位で、発行枚数は数千枚前後、最高賞金は千両〜百両(他に中当たり、小当たりあり……)位だったそうな
ついでながら、この時代の大工の給金は、一日働いて540文前後で、一ヶ月に二十日も働けば、親子四人が充分に暮らしていける稼ぎを得る事が出来たそうで、それから考えれば、富くじ一枚あたりの単価は、けして安くは無かったとようです。
(ちなみに通貨の目安は……一両=四分=十六朱=6500文くらいだったそうです)

★反射望遠鏡

今回、作中にて「隅の御隠居」が覗いていた望遠鏡は「反射望遠鏡」のようでしたが、鉄砲鍛冶であり彦根藩御用掛であった国友一貫斎が、天保年間にグレゴリー式反射望遠鏡を製作(オリジナルではなく、外国の文献を読んで製作したと思われますが、それでも凄い事です)しているので、あの描写も間違いではないかもしれません
(ただし隅の御隠居が覗いている反射望遠鏡のタイプは、外観の形状から見てナスミス式反射望遠鏡かニュートン式反射望遠鏡ですが)
この時代、意外なほど日本の科学技術は進んでいたと言えます。
(少なくとも、基礎的な技術力充分に備えていたと言うことですな)

★ 探偵

今回新左がシャーロックホームズのコスプレ?をしていたが、世界初の私立探偵(オーギュスト・デュパン)が登場する「モルグ街の殺人」がエドガー・アラン・ポーによって書かれたのは、天保11年にあたる1841年だったりするのだが、当然何の関係も無い話だ。
(だったら書くなと言われかねないが、趣味だから仕方がない…笑)



参考文献 『 図説江戸シリーズ 』 柏書房
     『 江戸さいえんす図鑑 』 インテグラ
     『 黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 』 岩波書店 文庫

と言う事で『大江戸ロケットの時代!〜其の九』今日はこれにて!

追記…コミケの連絡がまだ来ない!
蛇の生殺し状態やがな……


2007年05月29日

大江戸ロケットの時代〜其の八

★大江戸ロケットの時代〜其の八

ついに始まったロケットの製作!
と言う事で、ロケット開発について今回は少々……

現実の世界におけるロケット開発を紐解くと、1000年位前から語りださなければならなくなるので、ここは宇宙ロケット開発と言う事にして、話を少し端折って行きます。
(詳しく知りたいと言う人は、宿題!と言う事で自分で調べるのも一興です)

宇宙ロケットの理論を最初に研究したのは、ロシアのコンスタンチン・エドゥアルドヴィッチ・ツィオルコフスキー(生1857年〜1935年没)で、1897年に自ら「ツィオルコフスキーの公式」を数式化し、最初のロケット理論を完成させ、理論に基いて宇宙に行ける事を証明し、続いて1903年には「反作用利用装置による宇宙探検」を著し、液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図を発表しました。
(同時にSF小説も執筆して、その作中では2017年に月旅行可能な多段式のロケットについての描写があったりします)
これは、今まで使われていた固体燃料ロケットから、液体燃料を使用する液体燃料ロケットへと、新たなロケットの歴史へと一歩踏み出した事と言えます。
(ただし、ツィオルコフスキーは理論の人であり、これらの事は理論上の計算であり、また図面上だけの事で、実験よって実証する事はありませんでした)
そして同時期より少し後の時代、アメリカのロバート・ハッチンス・ゴダード(1882年〜1945年)が、ロケット・モーターの設計に取り組み、1919年には月飛行の可能性についての本を執筆し、1926年に人類最初の液体燃料ロケットを打ち上げることに成功しました。
(ただし最初の液体ロケット【「ネル」と命名された】は、高さ12m、距離56m、飛行時間2.5秒と言う記録でした…文字どおり産声を上げたと言う所でしょうか?)

ちなみにこの時代(19世紀末〜20世紀初頭)に、様々な宇宙ロケットの基礎が考えられ原因と言うか動機となった一つに、ジュール・ヴェルヌが書いた「地球から月へ(月世界旅行)」(前編が1865年、後編が1870年に出版されました)が、取り上げられる場合が多かったりします。
この小説を読んだ数十、数百万(それ以上かもしれない)の人々が、月に行く事に憧れた末に、その夢を忘れることが出来なかった人達が、宇宙への扉を悪戦苦闘しながら押し広げ、宇宙ロケットを創りあげていき、その中からツィオルコフスキーやゴダードが現れたという事でしょうか?憧れと言うものが、如何に人が持つ可能性を伸ばして行くかを証明した出来事ではないでしょうか?
(注意・ジュール・ヴェルヌの小説では、巨大な大砲によって砲弾型の宇宙船が月へと発射されるので、宇宙ロケットと言うのとは、ちょいと違いますが発想と言う点で、多くの人々と科学少年達を魅了しました。ここら辺は、非常に面白いので調べてみる事をお勧め、ちなみに日本でも鉄腕アトムやマジンガーZ等の二足歩行ロボットアニメを見続けた多くの人達の努力によって、二足歩行ロボットの開発が進んでいたりする事を考えれば、憧れが如何に科学の発達に必要な事なのかを、充分に理解して頂ける事だと思います)
そして続いて現れたのが、ロケット開発の本命といえるヴェルナー・マグヌス・マキシミリアン・フライヘール・フォン・ブラウン(生1912年〜 1977年没)……もっともロケット界に彼が登場する前には、もうワンクッションあって、直前にもう一名の人物が必要とされます。
その人物の名はヘルマン・オーベルト(生1894年〜1989年没)彼が著した『惑星空間へのロケット』(1923年)、及び設立に加わったVfR〜「宇宙旅行協会」(設立1927年〜1934年解散)の土壌の上にフォン・ブラウンが登場したと言えるでしょう。
(ただしオーベルトは、映画の特撮として実物大のロケット製作を頼まれ末に、爆発事故を引き起こした上で、〆切ブッチギって逃亡したという、何処ぞこか同人作家のような事をしたりしております……あくまで理論の人であり、技術者と言うか実践の人ではなかったようでが、爆発事故を起こしたロケット、映画の撮影には間に合わなかったそうですが、後に完成させられて打ち上げに成功したそうです)
ともかくオーベルの書いた著作を読み、感激したフォン・ブラウンが「宇宙旅行協会」に入会したのが1930年の事でした。
そして順調に実績を積んで、ついには高度24kmにまでロケットを打ち上げる事に成功したのですが、世界恐慌による資金難のせいで、「宇宙旅行協会」は解散となり、フォン・ブラウンを中心にしたメンバーの一部が、豊富な資金と技術を約束した軍の協力を得て、宇宙旅行用のロケットから兵器としてのロケットへと、開発が進められる事になりました。
それが一つの形として結実したのが、ドイツが第二次世界大戦で開発し実践に使用したV2ロケット爆弾(弾道ミサイル)だったりします。
(この時点で、後の宇宙ロケットに必要とされる基本の全てが完成されたと言えます)

そしてドイツの敗北による第二次世界大戦の終結、それらのロケット技術はソビエトとアメリカの二つの国家へと渡り、国家の威信をかけて宇宙開発戦争へと進んで行き、やがて宇宙ロケットへと進化していきました。
(無論、その基本となるのは、軍事的なロケット兵器としてなのですが…)

と言うのが宇宙ロケット開発の簡単なまとめなんですが、宇宙ロケットとして開発が進められてのは、主に液体燃料を使用した液体ロケット、大江戸ロケットに置いて清吉達が打ち上げ様としているのは固体ロケット……効率とかを考えれば、液体ロケットの方が有利なのですが、取り合えず月まで打ち上げるという事(帰還の事を考えないとしたら)だけをなら、固体ロケットでも可能でしょう。
(実際、国産のロケットであるM-Vロケット(ミューファイブ - )は、世界最大の固体ロケットで、月どころか火星探査衛星を打ち上げているという実績もある)
取り敢えずは、ソラさんの基本知識と手助けによって、ロケットの燃焼効率等が極限まで高められたり、そのほかロケット製作に必要な知識(今回のロケットノズルの事等)の助言が、充分に与えられると言う、ある意味反則的な事(なにせ考えればツィオルコフスキーが論文を発表してからアポロが月に到着するまでに、62年もの年月が必要だった)な努力の末に……ジュール・ヴェルヌが「地球から月へ(月世界旅行)」を執筆する22年前!ツィオルコフスキーが生まれる14年前!はたして江戸っ子達は、どの様な月ロケットを打ち上げてくれるのか?
何にしろ、江戸っ子には出来ない事は無い!と言う事で頑張ってほしいものだ。

ちなみにロケット開発と言うか、打ち上げに置ける難点は、大きく上げると二つあったりします。
一つは、純粋に技術的な問題、そしてもう一つは、資金の面での問題……はたして大江戸ロケットでは、この二つをどの様に解決して打ち上げる事が出来るのか?
と言う点も楽しみな所だったりします。

参考文献
『 まんがサイエンス 2巻 』 学研 著・あさりよしとう
『 栄光無き天才達 8巻 宇宙を夢見た男たち 』集英社 作:伊藤智義、画:森田信吾
『 月世界旅行―詳注版 (文庫) 』ちくま書房 著・ジュール ヴェルヌ, (翻訳) 高山 宏
 他

と言う事で、今日はこれまで!